表紙

面影 1


 芦ノ牧にほど近い、代々続いた庄屋の家で、年の終わりにに火事が起きた。
 もう近くの小川は凍りついていた。 村の者たちが力を合わせて井戸水をかけたが、百年以上の年月を経た藁葺きの豪農家は、またたく間に火の勢いに呑み込まれた。

 生き残ったのは、たまたま厠〔かわや〕に起きていた末娘だけだった。 親戚たちは集まって相談し、その娘、お幸〔ゆき〕を、飯坂で羽振りのいい商売をしている三番目の弟、矢柄屋儀兵衛〔やがらや ぎへえ〕に預けることにした。
 お幸がかぞえで十歳の冬、文久〔ぶんきゅう〕元年師走のことだった。


 旗や幟〔のぼり〕を商う矢柄屋は、真面目で手を抜かない儀兵衛の働きで、なかなかに繁盛していた。 おかげで妻のお栄〔えい〕はきれいに着飾り、芝居見物に、小唄の稽古にと忙しく出歩いていて、新しく養女になったお幸をほとんどかまわなかった。
 それでも、いじめられるわけではないので、お幸は奥の座敷で人形遊びやままごとをして遊んでいた。 ひとり遊びに飽きると、細い庭に出て、女中や下男の子供たちとたわむれた。
 風向きが変わってきたのは、翌年の夏だった。 風邪ひとつ引かぬ丈夫さが自慢だった儀兵衛が、染物工場で不意に倒れ、頭が割れるように痛いと訴えた後、あっけなくこと切れてしまった。
 戸板に乗って戻ってきた夫を見て、お栄は悲鳴を上げて気を失った。

 支えをなくした矢柄屋は、ぐらぐらと崩れていった。 お栄は酒に溺れ、実子のいない不運を嘆き、小さくなっているお幸を部屋の隅から引き出しては罵った。
「縁起の悪い! おまえは死神だよ! 親兄弟は焼け死ぬ。 うちの人はぽっくり逝ってしまう。 次は私の番かい? ええ?」
 酔っ払いの愚痴とわかってはいても、まだ十一の小娘には耐え難い悪口だった。 耳をふさいで店を飛び出したものの、行くあてなど、どこにもなかった。

 ふらふらとさまよっているうちに、お幸は気付いた。 いやに人通りが多いのだ。 みんな顔が明るく、ざわめきながら道筋にしゃがんだり立ったりして、場所取りをしている。
 そうだ、今日は八幡さまのお祭りなんだ、と、ようやくお幸は気付いた。
 間もなく見物人たちが左右に開き、潮騒のような音が近づいてきた。 お宮入りを競う太鼓屋台が、先を争って走ってきたのだ。
 息を詰めて、お幸は近くの防火用水の横に身を寄せた。 男たちの荒い掛け声が空気を切り、提灯を花のように飾りつけた屋台が二台、お幸の目の前でぶつかり合った。
 右の一台が大きくかしぎ、乗っていた若衆のほとんどが放り出された。 角にしがみついて残ったのは、まだ十四、五才の少年ただ一人だった。
 


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