表紙

面影 57


 薩摩・長州・土佐・大垣など各藩の連合した新政府軍は、葉月(八月)二十一日に至って、四千の軍勢で四箇所から一度に攻めてきた。
 特に母成峠にはその半分の二千人が一気に襲いかかった。 対する会津の守りはわずか八百人。 しかも銃器が、特に大型砲が乏しかった。 いくら勇敢でも、砲弾が飛び交い、火薬の煙が濃霧のようにたち込める中では動くことができず、みるみる部隊は半減してしまった。


 会津の城下では、十六橋に望みを託していた。 この頑丈な橋は、会津若松に攻め込む唯一の道筋なので、落としてしまえば敵は川を渡るのに難儀し、しばらくは足止めされるはずだ。
 しかもその年は、非常に雨が多かった。 毎日のように豪雨が襲い、近隣の川はすべて危険なほど増水していた。 敵はまだしばらくは来ない。 そう信じて、町の人々は荷造りと後片づけに余念がなかった。


 二十三日の早朝、まだ日の出から間もない時刻に、お幸は不審な物音を聞いて目を覚ました。
 長く続く緊張の中で、敏感になっていたのだろう。 すぐ起き出せるように着衣のまま横になっていたため、そっと拳銃を手に取って、できるだけ音をさせないように障子を開いた。
 廊下に立っていた史絵が、静かに振り向いた。 整った顔にはほとんど表情がなく、錦絵に描かれた美人画のように現実感に乏しく見えた。
「起こしてしまったわね」
「いいえ」
 低く答えて、お幸は姑と並び、庭に視線をやった。
「何か怪しい者でも?」
「そうではないの。 ただ、もう出立する頃合だと思ったのよ」
「出立?」
 どこへ出かけるというのか。 お幸は体中の筋肉が強張るのを感じた。
「あの……」
「この戦で、会津はずっと後手に回っています。 少しずつ準備がずれて、遅れがどんどん大きくなっている気がするの。
 まだ早鐘は鳴らないけれど、きっと鳴ったときには手後れ」
「お義母さま!」
 史絵は勢いよく身をひるがえした。
「そうよ、あなたと話していて心が決まったわ。 すぐここを出ましょう。 お城へ行くのよ!」




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