表紙

面影 56


 伊織は、ル・フォッショウ軍用リボルバー拳銃をお幸に託して言った。
「相手が剣だけなら薙刀も役に立つが、もうそんな戦いではない。
 この短筒は、弾込めしておけば連発で撃てる。 必ず両手で構えて、敵の胸の真ん中を狙いなさい。 そうすれば、反動で弾がそれても、体のどこかへ当たる」
 ずしりと重く冷たい拳銃を受け取ったとき、身震いが走った。 口がひとりでに動いて、弱い叫びを上げた。
「行かないで」
「お幸」
「敵は蜂か蟻のように多いんでしょう? 負けると決まった戦に、なぜ行くんです!
 将軍様でさえ春にお城を明け渡し、なんの抵抗もせずに寛永寺に入られたのに、どうしてあなたが命を賭けてまで!」
「それは、ここが故里だから」
 伊織の声は、低かったがしっかりしていた。
「そして、誇りを失いたくないからだ。 新政府軍は、殿の恭順を信じず、どうあっても力で会津を踏みにじるつもりだ。 抵抗せずにむざむざ殺されるより、戦って道を切り開きたい。 万に一つでも勝利する見込みがあれば」
 京都や江戸の戦では、直参旗本でさえ半数近く逃げ出して、遠くから日和見しているという噂が立っていた。 それだけに、お幸は最後まで納得が行かず、夫を引き止めようとした。
「いくら官軍でも、侍すべてに切腹を命じることはありますまい。 でも戦えば全滅するかもしれない。 嫌です! あなたはこの世に一人しかいないのに!」
 固くしがみつかれて、伊織は目を閉じた。
「お幸、お幸! 逃げればわたしは裏切り者だ。 武士としてこれほどの恥はないんだよ」
「わかっています。 伊織様がどれほど勇気があるか、私には誰よりも……!」
 廊下に膝をついて、お幸は号泣した。


 座敷では、誠吾が母に別れを告げていた。
「それでは母上、行ってまいります」
「もはや命を大切にせよと言っていられる状況ではないようね」
 史絵は寂しい微笑をにじませ、握り飯の包みを末息子に渡した。
「無駄死にだけはしないように」
「はい」
 大きな目をあげて、誠吾は一言だけ言い残した。
「ご無事で」




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