表紙

面影 29


 おせきは、上がりかまちにつまずきそうになって、ようやく手に持ったままの雀の細工に気がついた。
「お嬢様、これを」
 しおれた声と共に小さな砂糖細工を渡されて、お幸はなごやかな表情になった。
「かわいいねえ。 ずっと取っておこうか」
「蟻がぞろぞろ入ってきますよ」
 おせきは、にべもなく言った。

 夜が白むまで、おせきはこの事態をどうすべきか悩んだ。 桔梗屋に告げ口すれば、若い二人の仲を裂くのは簡単なことだ。 だが、おせきにはためらわれた。
――お嬢様はまっすぐな方だ。 今日だってこそこそしないで堂々と私を連れておいでなさった。 私も変な小細工はしないで、お嬢様にぴったり付き添っていよう。 そして、妙に燃え上がって清次郎さんの二の舞はさせないようにしなくちゃ――
 横についていれば、駆け落ちを防げるし、お幸の評判を守ることもできる。 そうしよう、と、おせきは決意した。


 翌日は丸一日、着物やかんざし選びで過ごした。 陽射しが暑いから涼しげな模様を、と思うそばから、水色じゃ顔が元気なく見えると不安になり、では黄八丈にするか? いやそれでは目立ちすぎると心配になる。 あれこれ迷うのがもどかしく、また、胸のときめくひとときだった。


 結局、淡い藤色の一重にして、いよいよ約束の日になり、午前中に髪結いを呼んだ。
 おせきもついでに髪を整えてもらった。
「あちこちのお寺で祭りだらけですからねえ。 夏はこの賑わいがいいですね」
 狐のような顔をした髪結いは、そう言って愛想よく笑った。
「夕方は、川沿いを行くと、蛍があちこちに飛んで綺麗ですよ」
「間もなく花火があるそうですね」
「ええ、山久のお嬢さんが嫁入りするんで、そのお祝いに権現橋辺りでね。 楽しみですよ」
 おせきと髪結いの話を音楽のように聞きながら、お幸は期待に弾む胸を静めかねていた。



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