表紙

面影 15


 さすが冷静な由吉も、これには度肝を抜かれた。
「空け渡しとは、何のことでございましょう?」
「いやね、いくら店構えが立派でも、これがなくちゃ商いはできなかろうと思ってね」
 そう言いながら、縞羽織は抱えてきた風呂敷包みを開き、中から書類を取り出して広げた。
「ほれ、株札ときちんと書いてありましょう? 以前は株仲間で権利をみっしり押えていたが、この前のお触れで、株さえ持っていれば誰でも商売できるようになったんだ。
 後はこのお店を売っていただければ、すぐにでも屋号を変えて開店できるんですがねえ」
 由吉はたじたじとなった。 清次郎がこっそり盗み出したのは、なんと店の株だったのだ!
「まあこんなところで立ち話も何ですから、料理茶屋にでも席を設けまして、話し合いをさせていただきます。
 今日のところは、店を開いている最中でございますので、お名前とお住まいを聞かせてくだされば、後で改めてご挨拶に伺います」
 若旦那風の男が不満そうに一歩進み出たが、縞羽織が手で押し止めて、うなずいてみせた。
「たしかに話が短兵急すぎましたな。 あさっての昼前にでも、また伺いましょう。
 わたしは惣兵衛〔そうべえ〕、こちらは若狭屋の坊ちゃんで朝三郎〔ちょうざぶろう〕さんです。 よろしくお見知りおきを」
 株を握っていることで相当自信があるのだろう。 惣兵衛は悠々と暖簾をくぐって出ていった。
 後に残った朝三郎は、由吉の目を睨むように見返して言った。
「波風立てないやり方もありますよ。 お幸さんがわたしの嫁になればいい。 清次郎のような腰抜けよりよほど大事にすると、お嬢さんにお伝えください」


 三人が立ち去った後、廊下の隅や柱の陰で話を洩れ聞いていた雇い人たちが、一斉に店へ出てきた。
 その中には、鉛の顔色をしたお栄の姿もあった。
 由吉は、怒りに震える胸の内をなんとか押し隠そうとしながら、平らな声でお栄に尋ねた。
「おかみさん、株札は倉の奥深くに入れてあるはずです。 それがどうしてあのやくざ共の手に!」
 お栄の目がさっと逸れた。
「それは……亭主が死んだ後、私が倉から持ち出して箪笥に入れといたんだよ」



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