表紙

面影 113


 翌明治三年、年初めの五日、旧会津藩士の謹慎処分がようやく解かれた。
 お取り潰しかと思われた藩主にも家督相続が許され、まだ幼児ではあるが子息の松平容大〔まつだいら かたひろ〕が後を継いだ。

 だが、新たに封ぜられた領地はわずか三万石の、下北半島南部だった。 とても藩士や領民が揃って移住できる広さではなく、希望者のみ約一万五千人が、一年かけて細々と移り住んでいった。

 故郷を離れがたく、会津付近で農業などに手を染めた者、東京方面に去った者、流刑扱いで小樽に移住させられた者。 こうして南部(後の斗南)に行かなかった人々も多い。 しかも翌年の明治四年には廃藩置県が宣せられて、藩そのものがなくなってしまった。

 慣れぬ北国での農業に見切りをつけた斗南の住人たちは、次々に土地を捨て、都会に離散した。 元藩主の容大も東京に出て、学習院に入学した。
 だが、北の地に牧場を作り、西洋式経営を取り入れて頑張りつづけた人々もいた。 日本初の洋式牧場『開牧社』を作った広沢安任らだ。 彼等の苦闘は、今でも資料館として残されている。



 明治十四年の初夏、北海道育種場にエドウィン・ダンが作らせた本格的な競馬場で、恒例のハーフマイル戦が催された。
 八百メートルの楕円コースを駆け抜けるレースには、各地の牧場から選ばれた駿馬たちが登録され、牧場主や馬主、見物客、それに地元紙の記者たちが詰めかけて、なかなかの盛況だった。
 たまたまこの時期に、林田誠吾は、利尻昆布の買い付けに来て兄の屋敷に泊まっていた。 そして、競馬があると聞いて見物したくなり、同じ馬車でやってきた。
 小腹がすいたので、露店で焼きいかを買っていると、見覚えのある顔が歩いてきた。 相手もすぐ誠吾に気づき、足を速めて近づいた。
「林田!」
「佐武〔さたけ〕じゃないか!」
「羽振りがよさそうだな。 えらく立派な身なりをして」
「それほどでも。 こっちに住んでいるのか?」
 佐武と呼ばれた三十がらみの男は、出走するために厩務員に引かれていく馬の一頭を指差した。
「そうだ。 あれがうちの牧場の流雲号だ」
「なるほど。 立派な黒鹿毛だな」
「だろう? 予想では、広川牧場の沿海号と並んで優勝候補と言われている」
 自慢そうに、佐武はうなずいてみせた。
  広川牧場という名を耳にして、誠吾はキラッと目を光らせたが、何くわぬ顔で尋ねた。
「広川牧場?」
「ああ、新冠〔にいかっぷ〕一の大牧場のことだ。 種畜場のダン先生に二人も見習いを預けて修業させて、メリケン式プラウだのカルチベータだの、舌を噛みそうな道具を使って、農業から畜産まで手広くやっている。
 うらやましいもんだ。 俺もあんな大地主になって、馬匹改良事業に取り組んでみたい」
 そこで佐武は唐突に口をつぐみ、二人連れで歩いてきた婦人たちに、具合悪そうに会釈した。
「いい天気でよかったですな、奥さん」
 絹の一重をすっきりと着こなした色白の美人が、にっこり笑って挨拶を返した。
「本当に」
「そう言えば、奥さんが来られるといつも晴れますな。 天をも味方につけていらっしゃる」
「まあ、お上手をおっしゃって」
 さらりとお世辞を受け流して、美人は誠吾に目をやった。
「誠吾さん、そろそろ出走ですって。 うちの席で一緒に見ません?」
「ああ、はい」
 急いで焼きいかを口に押しこんで、誠吾はその場を離れようとした。 驚いた佐武が、引き止めて小声で尋ねた。
「広川牧場のご令室と知り合いだったのか?」
 誠吾はにやっと笑って答えた。
「あの人はわたしの姉だよ」
 そして、ぽかんとしている佐武を残して、さっさと幸の後を追った。



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