表紙

面影 104


 その女は、表情を固くして、じっとゆき子を見つめた。 ゆき子のほうも、むずむずするような不思議な感覚に襲われて、女の顔から目を離せなくなった。
 やがて女が、伝法な口調で呟いた。
「こりゃ参ったね。 瓜二つ、とまでは行かないけれど、それでも鏡を見てるような気がするじゃないか」
 私はこんなに綺麗じゃない、と、ゆき子は思った。 相手はゆき子より年長で、垢抜けしている上にとても色っぽく、女らしい雰囲気がちょっとした動作ひとつにも漂っていた。
 この人が料亭『なつゆき』の女将さんなんだ、と、ゆき子は直感的に悟った。 そして、まだ雪の消え残る路地に、何のためたたずんでいるか、その理由も。
 木戸を押えたまま、ゆき子は穏やかに口を切った。
「進藤さまは、流行り風邪で伏せっておいででしたが、昨日でその風邪も抜け、今日はお一人で立てるほどに」
「まあほんとに? よかった!」
 綾乃は胸を押えて、一瞬ぐらりとなった。 すぐ体を立て直したが、心からほっとした様子がにじみ出ていた。
「お見舞いに来られたんですか? どうぞお入りに」
 そうゆき子に言われたとたん、綾乃は驚いて目を見開いた。
「私が? そんなこと……許されるわけが……」
「もう伝染るまいと、お医者様も言っておられましたから」
「いやね、そういうことじゃなく」
 閉口した顔で、綾乃は小さく答えた。
「ちゃんとした奥様のいらっしゃるお宅に、いくら私が厚かましくても」
「どうかお入りを」
 ゆき子は毅然とした声になった。
「お気遣いは要りません。 裏口で申し訳ないですが、こちらのほうが近いですから」
 そこまで言われて、綾乃も後へ引けなくなった。 何となく虚勢を張った感じで、木戸を入ると、ゆき子に案内されるまま、進藤の寝室に近づいた。

 庭から直接廊下へ上がって、ゆき子は障子越しに声をかけた。
「綾乃さんがご心配で尋ねてみえました。 お通ししていいですか?」
中で布団の擦れる音がした。 それから、まだ鼻づまりの声で、返事があった。
「頼む」
 ほっとして、ゆき子は後ろに控えた綾乃に笑顔を向けた。
「どうぞ」

 二人を残して廊下を立ち去るとき、ゆき子の顔にはまだ微笑が残ったままだった。
――綾乃さんは心底、進藤様に惚れている。 これでいい。 後の心配はなくなった――

 そのときは、本当にそう信じて疑わなかったのだった。 確かに、その夜までは。



表紙 目次文頭前頁次頁
背景:White Wind
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送