表紙

面影 6


 ほんとに七日もすると、店はすっかり前と変わらぬ様子になった。 儀兵衛の役割を番頭の治助が引き受けて売り込みなどの外回りをこなし、手代の由吉が店の番台に立つ。 二人とも真面目なので、売り上げはすぐ元に戻り、不安がっていた染め工場も、安心して品物をおろしてくれるようになった。
 お栄は、初めのうちこそ遠慮がちに振舞っていたが、じきにあちこちと出歩くようになった。 ただし、少しは自分の立場を考えたのか、三回に一回はお幸を着飾らせて連れていき、芝居小屋や踊りの華やいだ空気を吸わせてくれた。 また、家に三味線の師匠を呼ぶことに決めたのも、お栄だった。
、習い事は六歳の六月六日に始めるとよいとされる。 お幸の場合だいぶ遅かったが、身を入れて稽古したため、ずんずん上達して、半年で同い年の連中に追いついてしまった。 師匠のお喜代〔きよ〕は感心して、お世辞抜きでお栄に報告した。
「お幸ちゃんは利発で、とても筋がいいですよ。 そろそろ弾き合わせに加わっちゃどうですか? ひとりでやるより張り合いも出るし」
「そうねえ」
 顎に指を当てて考えていたお栄は、外稽古に出せばその間、自分は気がねせずに遊べると思いついた。

 こうしてお幸は、何枚か新しい着物を仕立ててもらい、春の街筋に出ることを許された。 お付きは丁稚の康助〔こうすけ〕だった。
 初めのうちは真面目に店と師匠の家をまっすぐ行き来していたが、半月もすると、お幸はちょっとずつ寄り道をするようになった。 だんご売りののぼりが目に入ったと言っては右に曲がり、はやりの下駄を見ておくんだと言い張っては左に行った。
 こうして、しばらくすると、お幸の通らなかった道はないほどになった。 康助ははらはらしていたが、別に道草をくうわけではないので強く言えず、仕方なくついて歩いて下駄をすり減らした。 ふたりとも足が丈夫になったことは確かだった。

 遅い桜が散り、はるかに望む吾妻山が新緑に包まれる頃、お幸はようやく目的を果たした。 豆腐売りが哀愁をこめた呼び声で客を集めている傍をすたすたと歩み過ぎたお幸の足が、ふと放心したようにゆるんだ。 おかげで後ろについていた康助が前の背中にぶつかりそうになり、あわててよけて横に並んだ。
 だがすぐに、お幸は勢いを取り戻し、今度はやたら速く歩いて、あっという間に瀬戸物屋の角を曲がって、脇道に入った。
「どうなすったんです、お嬢様?」
 康助が尋ねたが、お幸は答えなかった。 振り返りもせず、ぐいぐいと足を進めていったものの、目にはついさっき見た光景がはっきりと焼きついていた。 袋に入れた竹刀を持って、笑いさざめきながらすれ違った、上背のある少年たちの姿が。



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