表紙

丘の家 95


 早智と史麻は、リビングの隣りにある四畳半の和室に移って、積もる話を始めた。
 男性二人は、ゲーム機を持ってきてゴルフをやり出した。 未来も一緒になってキャッキャッとはしゃいでいる。 楽しそうなので、姉妹は安心して語り合うことができた。
「島岡悦〔しまおか えつ〕ちゃん覚えてる?」
「うん、早智ちゃんの親友でしょう?」
「そう。 電話で、ごたごたがひどいから家出したいって半分冗談で言ってたら、じゃあこっちにおいでって本気になって。
 彼女、旦那と別れたばかりで部屋が空いてたし、子供を一人にして働きに行くのが心配だったの。 だから半年、悦ちゃんに部屋借りて、時間ずらして子守りしながら働いた。 未来を産むときも、本当に世話になったわ」
「うちへ帰ろうとは思わなかった?」
 半分泣きそうになって、史麻は詰問した。 早智は苦笑いに近い表情を浮かべ、ぽつんと答えた。
「お母さんを巻き込むのはね……」
 ズンと胸が疼いた。 史麻は思わず伏し目になって、気の弱い母を思い浮かべた。 隣りの鈴木夫人一人をもてあましているのだから、片瀬の女ドラゴンたちに束になって攻められたら、寝込んでしまったかもしれない。
 ソファーでは、賑やかにゲームが続いていた。 二人の男性の真ん中に坐ってニコニコしている未来を見ながら、早智が静かに言った。
「春にね、次の子が生まれるの」
「ええ?」
 史麻はたちまち顔を輝かせた。
「よかったね!」
「うん。 未来がすくすく育ってるから、そろそろいいかなと思って。
 ダウン症の子は、性格がいいのよ。 明るくて素直で、外国ではエンゼルキッズって呼ばれてるの。 未来もほんとにいい子。 物事を覚えるのに人より時間がかかるけど、根気よくやれば必ず覚えられる」
「そうなんだ」
 史麻は大きくうなずいた。
「早智ちゃん福祉課にいたから、詳しいよね。 私も勉強する。
 ね、梅ケ淵の家にも里帰りしてね。 うちの親たち二人とも子供好きだから、事情がわかったら可愛がってくれるよ」
「なんか、しっかりしてきたね」
 早智は妹をしみじみと見直した。
「仕事ばりばりしてるみたいだし、好きな人できたし」
「えー」
 赤くなって、史麻は姉の膝をぽんぽんと叩いた。




 史麻が市郎と連れ立って片瀬家を出たのは、夕闇が迫ってきた六時半過ぎだった。
 一緒に夕食をと誘われたが、市郎は臆面もなく言った。
「いや、これから楽しいデートなんで」
「わー、言ってくれる」
 未来を抱いて見送りに出てきた治臣が笑った。 横にいる早智もにこにこしていた。 並んでいる姿はごく自然で、風雨を通り抜けてようやく安定した若夫婦の落ち着きがただよっていた。



 手を振って車を出した後、最初の交差点に来るまで、市郎は無言だった。 史麻も黙って、いろんな感慨の詰まった午後を思い起こしていた。
 赤信号で止まった四つ角で、市郎は史麻に顔を向けて、低く囁いた。
「いい妹だ。 惚れ直した」
 眼を閉じて、史麻は彼の肩に寄りかかった。
「私も。 あなたって、見かけによらずいい人だ」
「何だよー見かけによらずって」
 信号が青になった。 休日が終わりに近づき、たくさんの車が家を目指して、赤い尻尾の蛍のように並んでいく。 その列に溶け込んで、二人はぴたりと身を寄せ合ったまま、繁華街を軽やかに駆け抜けていった。



【完】








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