表紙

丘の家 94


 リビングは、そう大きくなかった。 だがさっぱりと片付いていて明るく、気持ちのいい空間だった。
 ソファーと椅子にそれぞれ落ち着いて、市郎が手際よく用意してきたプチケーキと紅茶を前に、話が交わされた。
 最初に言い出したのが治臣だったため、彼が自然に語ることになった。
「結婚して半年で、子供ができたことがわかったんです。 僕らはただ嬉しいってだけで、早々とベビー用品を揃えたりしてたんだけど」
 眉が強く寄って、ほとんど一直線になった。
「母が検査しろと強硬に言ったんですよ。 しないんなら出ていってもらうなんて言い出すもんで、仕方なく」
 言葉が途切れた。 夫が下を向いてしまったのを見て、早智が重い口を開いた。
「検査したら、ダウン症だったの。 染色体が多い症状。
 お義母〔かあ〕さんは、問答無用で中絶しろって言ったわ」
「自分もやってたから」
 治臣が、ぼそっと付け加えた。 史麻は驚いて顔を強ばらせた。
「菊乃の下にできた子を。 でも、それで子供ができにくくなったらしい」
「考えたわ。 正直言って、悩んだ。 でも、昔と違って今は育て方の手本もいろいろあるし、子供の寿命も延びてる。 それに、何よりも私の子だもの。 生まれる前から可愛かったの」
 目を伏せたまま、治臣が続けた。
「僕のほうがなかなか決められなかった。 それまですべてが順調だったから、頭がごちゃごちゃになって。 そのうちどんどんこじれてきた。
 さっちゃんが……早智が実家に戻ると言ったら母は逆上して、浮気したと言いふらして町にいられないようにしてやるなんてエスカレートして」
 史麻は唇を噛んで横を向いた。 そうと知っていたら、片瀬夫人の金賞パーティーなんか絶対に行かなかったのに。
「その翌日、僕が会社にいる間に、早智はそっと出ていった。 実家に行った様子はないし、もうパニックになった。 それで、知り合いのつてを頼って、葉山さんに探してもらったんだ」
 夫妻は、いつの間にか史麻一人に話しかけていた。 葉山はもともと彼らの側で、後ろ盾に近い存在だったらしい。
 史麻は、目の縁を赤くしている姉をまず眺め、それから、神妙な面持ちの治臣と、安心して胸にもたれかかっている小さな未来を見つめた。
 治臣さんは、丘の家の安楽な暮らしじゃなく、早智ちゃん達とこの小さな家を選んだんだ――そう悟ったとき、史麻の眼にも熱いものが湧き出してきた。








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