表紙

丘の家 88


 残さずきれいに食べ終えた後、香月は緊張した表情になって、まだスプーンを口に運んでいる史麻を見た。
「事件の晩、君が片瀬家の玄関に来たのを見て、ひやっとした。 班で行動してるから、抜け出して君だけ助けるわけにいかないし、もうどうしようかと思った」
「あの前に電話したんだけど、忙しかったみたいで」
 史麻が言葉を濁すと、香月は目を見張った。
「えーっ? うわー、しまったな。 本名と山根名義と、二つ携帯持ってて、もう任務終了だからって本名のだけ持ち歩いてたんだ。 くそーっ」
 史麻は目を伏せた。 間が悪いことって、あるものだ。 あの日、『山根』に電話が通じていたら、史麻は彼に頼り、市郎の助けを借りなかっただろう。 そして、二人の心はすれ違ったままだった。 たぶん、永久に……。


 唇を噛んで、香月は荒い息を吐いた。 本当に悔しそうだった。
「なんか、超ミスってるな。 これからは素の香月英嗣で付き合ってほしいと言おうと思ったのに」
 付き合ってほしい……?――史麻は面くらった。 確かに、『山根』にほんのりと好意を感じたことはあった。 でも、それはもう過去のこと。 史麻の気持ちは、市郎へ総なだれを打っていた。
「あの……」
 最後の一口が、喉を通らなくなった。 史麻はスプーンを置き、小さく咳払いした。
「ごめんなさい。 私、もう……」


 すっと、香月の顔が冷えた。 身が縮む思いで、史麻は両手を膝の上で握り合わせた。
 押さえた声が、間もなく耳に入ってきた。
「それ、葉山麓郎?」
 ばね仕掛けのように、史麻の頭が上がった。 なんで皆そう思うんだ!
「ちがう。 彼じゃない」
「じゃ、僕の知らない男?」
 言葉に詰まった。 知っている。 明らかに顔見知りで、たぶん麓郎より付き合いが長そうだ。
「あの」
 史麻には珍しく、いじいじした口調になってしまった。
「葉山の、お兄さんのほう」


 カタンと香月の椅子が鳴った。
 ちらっと見ると、彼は目を剥いていた。
「嘘だろう?」






表紙 目次文頭前頁次頁
背景:Fururuca
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送