表紙

丘の家 87


 道玄坂から曲がって数分で、東急本店の白い建物が見えてきた。
 正面入口の近くで降ろしてもらってすぐ、右の角から山根、ではなく香月が急ぎ足で来るのが見えた。
「待たせた?」
「ううん、今来たとこ」
 本当にそうだったので、史麻は明るく答えた。


 彼の提案で、小路二つ向こうのカフェへ食事をしに行くことにした。
 ごちゃついた裏通りを歩きながら、『山根』は小声で自己紹介し直した。
「もうばれてると思うけど、改めて言うね。 僕は香月英嗣〔かづき えいじ〕といって、警察関係者」
 所属をはっきりは言わなかった。 史麻もそれ以上詳しく訊こうとせず、他の気になっていたことを尋ねた。
「片瀬のお義兄さんは? どうなったの?」
「彼は無関係。 会社にダメージはあるだろうけど、社長の座は安泰らしい」
 史麻は心からほっとした。
「よかった」
 それから、気持ちを据えて、いよいよ自分の話に入った。
「巻き込まれないようにしてくれて、感謝してます。 ありがとう」
 香月は、ポケットに入れた手を抜き、風で落ちてきた前髪をはねのけた。
「いや、僕だけの判断じゃないから……。 それにしても、片瀬菊乃は、どうしてあんなに史麻さんのこと憎んでるんだろう。 君を不良だと言い張って必死だったな。 うんざりするほど。
 でも、相棒の横川は、逮捕されたらもう関係ないって態度でね。 裁判に覚醒剤の件を持ち出さないでくれたら、君があそこにいたのは黙ってると言った。 あいつはさすがに場数を踏んだ悪党で、取引の仕方を知ってる」




 明るいクリーム色の店内でアーモンドカレーを頼んだ後も、話は続いた。
「賭博は初犯だから、いい弁護士がつけば執行猶予になるかもしれない。 でも、麻薬取引が加わっちゃ刑が重くなるからね」
 史麻はうんと声を低くして、大胆に訊いた。
「ほんとに捕まえたかったのは、あの二人じゃなくて、別の人でしょう?」
 香月は口をすぼませて、目だけ軽く回してみせた。


 カレーはマイルドで、とてもおいしかった。 香月は気持ちよく平らげていたが、ふとスプーンを休めて、もう少しだけ説明してくれた。
「外国公使館のやつってさ、いわゆる外交特権があって、なかなか逮捕できないんだ。
 でも、麻薬所持となると、ペルソナ・ノン・グラータ(=好ましくない人物)として、国外退去させることはできる」
「ああ……なるほど」
「そうすれば、密売ルートが一本断ち切れるわけだ」
「そっちが本命?」
「まあ、そういうこと」
 賭博は捜査の本筋ではなかったらしい。 菊乃はとんだとばっちりを食ったことになる。
――でも、法律違反は法律違反だし、本人たちだって麻薬に手出してたみたいだし――
 やはり自業自得だと、史麻には思えた。






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