表紙

丘の家 81


 びくんと史麻の顔が上がった。
 さりげない視線でバーテンの手元を追いながら、麓郎は続けた。
「兄貴は若い子の相手するの嫌いなんだ。 最近の子って大人慣れしてないだろ? 面倒くさくて、いちいち構ってられないって。
 ただ、君の話はよくしてたよ。 珍しく気配りのいい子だとか、冷たく見えるけど実はハートがあったかいんだとか」
 史麻の心が激しく揺れた。 冷たく見える、というのはちょっとショックだったが、他の褒め言葉で一度に気持ちが舞い上がった。
 出されたグラスを引き寄せ、麓郎は少し考え込んだ。
「もしかすると」
 話していて、初めて気付いたようだった。
「兄貴は、君と俺をくっつけようとしてるのかな」


 史麻は、突き飛ばされたように高い椅子をすべり落ちて、危なっかしく立った。
 さっきからもやもやしていたものが、麓郎の言葉で突然現実の形になって、目の前に差しつけられた。
――なんかおかしかった。 約束しておいて他に用事があるなんて。 おまけに不意打ちで麓郎さんを呼ぶなんて!――
 カッとなった。 みるみる目が怒りに燃えた。
「そんな……そんなこと、余計なお世話よ!」
 麓郎は、プッと笑った。 邪気のない、明るい笑顔だった。
「そうだよなー。 空気読めてないよ、肝心なときに」
「私帰る」
 ふわっと心が浮いた後で、雲から地上に叩き落とされた気分だった。 史麻は小さく唇を震わせながら、五千円札を引っ張り出してカウンターに置いた。
 バーテンが急いでやってきた。
「もう先のお客様から頂いてますので」
「私の分はこれでお願いします」
 バッグを掴むと、こみあげてくるものをこらえながら、史麻は小声で麓郎に言った。
「ありがとう。 あなたには迷惑かけちゃった」
「そんなことないよ」
 珍しく、麓郎は優しい口調で答えた。




 バーを出て階段を上る途中で、涙が目に溢れた。
 史麻は立ち止まって、クリーム色の壁にもたれた。 もう恋なんかしたくない、と心底思った。
――最低…… 最低に格好悪い…… ――
 やっぱり子供扱いされてたんだ。 弟の彼女としては合格かな、なんて、大人の目線で見てただけだった。
 史麻は片手を振り上げ、いきなり壁を拳でガンと叩いた。 しびれが来るほど痛かったが、いくらか気持ちがすっとした。


 階段を上り切ると、横から風が吹きつけてきた。 これなら歩いているうちに、目は自然に乾いてしまうだろう。 史麻は強く瞬きして涙を払いのけ、早足で地下鉄の駅を目指した。
 もう少しで入口の階段、というところで、不意に肩に手がかかった。










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