表紙

丘の家 79


 とたんに市郎は目を逸らした。 不自然な声音が言った。
「今はだめだ。 マスコミが張ってるから」
「じゃ、いつなら教えてくれるの?」
 もう史麻もただ引き下がってはいなかった。
「早智ちゃんに会って安心したいの。 結婚したからって、早智ちゃんがうちの家族だってことに変わりない。 お母さんはよくアルバムを出してきて、見ては涙流してるんだから」
「うん、そりゃ、まあ……」
 珍しく、市郎は煮え切らなくなった。
「あと二週間ぐらいしたら、大丈夫かな」


 初めて具体的な区切りが出た。 史麻は眼をきらめかせて、思わず市郎の腕に手をかけた。
「ほんとね? あと半月したら、必ず教えてくれるのね?」
「……ああ」
 ようやく決断したらしく、語尾をはっきり言い切って、市郎は新しく来たグラスを両手で挟んだ。
 史麻はまだ彼の腕に触れていた。 鼓動が不規則に鳴る。 まだほとんど酒に口をつけていないのに、酔ったように周囲が揺れた。
「ねえ」
「なに?」
「あの」
 唾を飲みこんだ後、史麻は突んのめった口調で一息に尋ねた。
「私のことどう思ってる?」


 市郎はほぼ無反応だった。
 グラスを手の中で軽く揺らしながら、普段通りの言い方で訊き返してきた。
「どうって?」
 こっちの口から言わせる気か! 耳までカッと熱くなった。
「俺にも好みがあるとか言ってたでしょう、この間?」
「ああ、あるよ」
 まるであっさりと、答えが戻ってきた。
「君のことどう思うかって? 可愛いよ。 用心深いくせに、ある一線を越えるとカーッと突っ走る。 見てて飽きない」
 なんだこの上から目線は。 相手が余裕たっぷりに思えて、史麻は胸がひりひりしてきた。
「実験動物みたいに観察しないで。 私にだって好みはあるんだから」
「そりゃそうだ」
 軽く受けて、市郎は口の端をほころばせた。 なんでこう憎たらしいんだ! 史麻は、かけた手に力を込めて、思い切り揺すぶってやりたくなった。
――言いなさいよ。 君みたいなコドモに本気出したりしないって、はっきり言えば! 嫌な余裕見せないでよ。 私はね、私は…… ――
「よう、遅かったな」
 突然、市郎がグラスを置いて大声を出した。 史麻は不意を突かれ、あわてて彼の視線を追って、斜め後ろを振り向いた。







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