表紙

丘の家 77


 背後から賑やかにやってくる男達に押されるように、史麻は中へ進んだ。
 市郎の隣りに坐るとすぐ、相手はグラスを置いて人なつっこく話しかけてきた。
「今朝帰ってきたんだ。 貧乏暇なしだよ。 そっちは?」
「前と変わらない。 そのことで……」
 バーテンダーが近づいてきたので、史麻は言葉を切り、ミントジュレップを頼んだ。
 それから、小声になって市郎に尋ねた。
「本当に周りが静かなの。 もう心配しないで平気?」
 酒を一口飲んで、市郎はうなずいた。
「平気。 その代わり、横川とあの女を訴えることもできないけどな」
「それはいいの。 何も起きないうちに葉山さんが……葉山さん達が助けてくれたんだから。 でも、なぜ山根、じゃない香月さんがあそこに?」
 市郎はもう一度グラスを傾けた。
「某国の大使館員が、密輸入してたわけさ、いろいろと」
 いろいろと……。 その中に、いわゆるヤクが含まれていたのだろうか。 史麻は、賭博場にいた様々な外国人を記憶に蘇らせた。
「外交官特権で逮捕はできないが、品物は押収できたってよ。 あのでっかい家は、密輸の倉庫にも使われてたんだ」
 史麻は頭が痛くなった。 菊乃の罪はどんどん重くなる。 すべてが法廷に持ち出されるわけではないにしても、実刑は免れない感じだった。
 すっと前に置かれたコリンズグラスに目を据えて、史麻は苦々しく呟いた。
「菊乃ちゃんなんであんなことを! あの男にそそのかされたの?」
「さあな」
 市郎の横顔には哀れみの影もなかった。
「彼女は贅沢がしたかった。 それだけだろ。 今まで通り、大きな屋敷のお嬢様として威張っていたかったんだ」
 今まで通り? その言い方が心に引っかかった。 史麻は、無意識に小首をかしげて、隣りの男を見た。
「お金に困ってたってこと?」
「だろうな。 兄貴の冶臣さんが金を渡してなかったらしいから」


 史麻は息を呑んだ。
「まるっきり?」
「そう、最低限の生活費をカードに入金してただけ」
「どうして!」
 思わず声が大きくなった。 腰が抜けるほど驚いたが、心の隅でもやもやが晴れ、少しずつ謎の輪郭がはっきりしてきた。
「つまり、あの姑と小姑が、結果的に君の姉さんを追い出したせいだよ」
 市郎の平静な声が、右耳に大きく響いた。







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