表紙

丘の家 72


 やがて髪は乾いた。 史麻は洗面所を出て寝室に入り、デスクに置いた携帯を見つめた。
――葉山の市郎さんか麓郎さんにかけたい。 でも、そばに警察がいたらまずい――
 疑われたら、せっかく二人が庇ってくれたのが意味なくなる。 ギュッと目をつぶって胸を押さえたとき、携帯のほうが揺れて音を発した。


 史麻は窓辺を離れて飛びついた。 かけてきたのは、麓郎だった。
「今、家?」
「そう。 どうなった、あれから?」
「兄貴が来て、あっという間に片づけた。 俺はお咎めなし。 君は現場にいなかった。 そういうこと」
 胸をギリギリと縛っていた不安が、あっという間に薄らいでいった。 史麻は電話を耳に押し付けたまま、ベッドに座って目を閉じた。
 麓郎は平然としたもので、むしろ面白そうに話しつづけていた。
「君の留守電聞いてさ、ヤバッと思って送電線に細工したんだ。 俺、そっち方面の研究してるから簡単なの」
 不意に消えた電気は、麓郎の助け舟だった。 ぎりぎりで間に合ってよかったと、史麻は大きく息をついた。
「一生感謝するわ。 あのとき本当に危なかったの」
 麓郎の電話からは、街の雑踏が小さく聞こえてきた。 信号の音や車の発信音、人の賑やかな話し声が通り過ぎる。 繁華街を歩いている感じだった。
 史麻は、ちょっとぎこちない声で訊いてみた。
「えーと、今お兄さんも一緒?」
「ああ、横にいるよ。 これから飲みに行くとこ。 代わる?」
 麓郎の声には何の変化もなかった。 三津田邸の庭で起こったハプニングについて、何も知らないらしかった。 それとも、キスぐらい大したことじゃないと思っているのかもしれないが。
 史麻は息を整え、頼んだ。
「お願いします」


 やがて市郎の人を食った声が聞こえてきた。
「よう。 無事に帰れておめでとうさん」
 史麻は口をあけた。 だが、言葉が出てこなかった。 急に目まいがして、足元が妙な具合に揺れ出した。








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