表紙

丘の家 26


 姉のことがなかったら、電話をかけ直して菊乃の誘いを断わっただろう。 だが、事情が詳しくわかるまでは片瀬家と仲違いはできなかった。 史麻はぶつぶつ言いながらもその晩、部屋でクローゼットを調べて、着ていくドレスを検討した。
「若い子のパーティーならこれもいいけど、おばさん達がたくさん来るんだろうし、おとなしめの方がいいかな」
 結局、ワインカラーのサテンにトンボの羽のように透けたオーバードレスを重ねていくことにした。 これなら街着よりはフォーマルで、イヴニングドレスほど大げさではない。


 幸か不幸か、金曜日は午前中だけの仕事だった。 だから昼過ぎに自宅へ戻って、ゆっくり着替えすることができた。
 メイクは念入りにした。 菊乃はあら捜し体質だから、ちょっとでも手を抜くと何を言われるかわからない。 史麻は車を持っていないので、地下鉄でさっさと目的地に向かった。

 Tホテルは二度ほど行ったことがあるから、すぐわかった。 巨大な吹き抜けロビーのある華やかなホテルだ。 フロントで訊くと、すぐに会場を教えてくれた。
「二階のマンダリン・ルーム? なんかユニークな名前」
 ぽつりと呟いてエレベーターに向かおうとしたとき、スーツの上着に手を通しながら早足で歩いてくる青年とぶつかりそうになった。
 彼は、あやうく身をよけて、心地よい声で言った。
「あ、すいません」
「いえ」
 急いで引いた上着から、開封した四角い封筒がすべり落ちた。 たまたま史麻の靴の上だったので、腰をかがめて拾うことになった。
「あれ、ごめんなさい、わざわざ」
 見るともなく見た表書きには垣田昭典〔かきた あきのり〕様と印刷で記してあった。
 封筒を受け取りながら、垣田というらしい青年は言い訳のように説明した。
「招待状なんですよ。 書道なんてよく知らないんだけど、知り合いの奥さんが賞を取ったお祝いで」
「書道?」
 思わず史麻の口から問いがこぼれ落ちた。
「うん、草書だったかな、行書? 覚えてないけど、ともかく優勝したんですって。
 ええと、何階ですか? 僕押します」
 気さくだがなれなれしくなく、感じがいい。 史麻は淡く微笑して答えた。
「二階です。 たぶん同じ会場に行くんだと思います。 マンダリン・ルームでしょう?」
「そうなんですか? 二階ってのは覚えてたけど、よく読んでなかった」
 彼は、明らかにほっとした様子だった。
「よかった、ここ広いから、探しまわらないといけないかってびびってたんですよ。 うちは重ケ沼であんまり東京には来ないんです。 こんな派手なホテル、慣れてなくて」
 ちょっと照れたように、彼はニコッと笑った。






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