表紙

丘の家 25


 翌日の水曜日、史麻は早朝からロケバスに乗って、横浜の倉庫街へ行った。 『リュシル』というファッション雑誌のクリスマス特集を撮影するためだ。
 背景にトナカイのコラージュ・ポスターを貼って、ブーツにチュニックブラウスにロングコートという格好で笑顔を作っていると、首筋に汗がにじんで顔がほてった。
「参ったな。 今何度? 二十九度か。 アイスノン用意ある?」
 カメラマンが帽子を後ろに跳ね上げてマネージャーに訊いた。  Tシャツ一枚のスタッフが身軽に動き回っているのを、史麻はちょっとうらやましげに眺めた。 細身だが冷え性ではない。 むしろ暑がりな体質だった。

 それでも撮影は、おおむねうまくいった。 機材を撤収してバスに乗ったのが十時半。 一時間ほどかけて事務所に戻って、次の仕事の打ち合わせをやり、十二時少し過ぎにマネージャーの河本加南子〔こうもと かなこ〕と一緒に食事へ出た。

 加南子は史麻の専属マネージャーではない。 四人ほどの若手モデルを掛け持ちしているベテランだが、最近史麻が売れてきたため、週の三分の二は彼女にかかりきりだった。
 藍色の軽自動車を引っ張り出してきて、加南子は嬉しそうに提案した。
「ねえ、根津神社のそばに、おいしい讃岐うどんのお店を見つけたのよ。 好きでしょ? ね、ね、好きだよね?」
「おいしそうね」
「行く?」
 大きなどんぐり眼をくりくりさせて、加南子はポンと運転席に飛び込んだ。 ハアハアしている小犬に似ている。 活気があって小柄で、物静かな史麻とは対照的だった。

 車の中で携帯が鳴った。 史麻は、相手によってメロディーを換えるような細かいことはしない。 パッと開けて画面を見ると、妙な名前が出ていて眉をひそめた。
「片瀬菊乃……?」
 一応お互いの電話番号は入れているが、ほとんど連絡を取り合ったことがない。 変な気持ちで、史麻は携帯を耳に当てた。
「菊乃ちゃん?」
「そう」
 澄ました声が返ってきた。
「こんちは。 学校では他にうるさいのがいて話せなかったけど、今度の土曜にパーティーやるのよ。 九月十六日。 お母ちゃまが書道展の草書の部で金賞になってね、そのお祝いなの」
「そう、おめでとう」
 そっけなくならないように気をつけて、史麻は穏やかに答えた。 お母ちゃまという子供時代の呼び名を相変わらず使っているところが、菊乃らしかった。 もっとも、早口なのでお母ちまというふうに聞こえた。
「でね、あなたにもできたら来てほしいの。 まだモデルやってるっていうし、雰囲気が華やかになっていいんじゃないかしらって、お母ちゃまも言うのよ」
 来てほしいって……史麻は苦い表情になった。 来ると決めている命令口調だ。 しかも、たった三日後じゃないか。
「土曜の何時から?」
「夜の六時開始だけど、時間厳守でなくていいのよ。 みんな適当だから。 場所は麻布のTホテル。 あっと、ドレスコードはフォーマルっぽいカジュアル。 お仕事がお仕事だから、ちゃんと合わせてくれるわよね。 じゃ」
「あの……」
 言うだけ言って、菊乃はさっさと電話を切ってしまった。
 




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