表紙

丘の家 22


 急に食欲がなくなった。 膝に置いた手で、無意識にハンカチを伸ばしたりねじったりしているうちに、史麻はある可能性に思い当たった。
 ほんとにこの人は、菊乃ちゃんのBFだろうか?

「食べなよ。 冷めちゃうよ」
 史麻が黙ってしまった理由を百も承知で、葉山はどんどん肉を焼き、ぱくぱくと食べていた。 憎たらしかった。
 だから史麻は、皺になったハンカチをバッグに押しこんで、低く尋ねた。
「わかった。 片瀬の人たちも早智ちゃんがどこにいるか知らなかったのね。 だからあなたに頼んで、調べてもらった。 そうでしょう?」
 葉山は目を上げると、箸で史麻を指して、冗談ぽく言った。
「鋭い!」
「片瀬からたっぷりお金を貰って、私からも取る気なの?」
「それだけ貴重な情報ってことで」
「いいわ」
 史麻は不意に心を決めた。
「八十五万ね。 明日銀行から出してきます。 どこで渡したらいい?」

 葉山は箸を置いた。 ポケットから携帯と手帳の両方を取り出し、なにやら見比べていたが、やがてあっさり言った。
「明日は駄目だ。 予定が詰まってる」
「じゃあ、いつならいい?」
「そうだな……」
 めずらしく、語尾が濁った。
「もう用件が済んだから、こっちへは来ないかもしれないし」
「私も当分来ないわ。 今日で休みが終わるから、東京へ戻るの」
「そうか、じゃ」
 携帯を手にして、葉山は目を光らせた。
「番号教えてくれ。 後で連絡するよ」


 結局、ほとんど肉を口に運ぶことはなく、匂いを服と髪にたっぷり染み込ませただけで、史麻は店を出ることになった。
 冷房の効いた店内から足を踏み出すと、夏の置き土産のような湿気のこもった空気がまとわりついた。
 気分は最悪だった。 姉に会いたい一心で胸を高鳴らせながら来たのに、電話番号の交換だけで終わり、おまけに八十五万円払わされそうになっている。
 財布をポケットにねじこみながら、遅れて葉山が出てきた。 今夜の代金は自分が出すと言い張って聞かないので、面倒になって、そうしてもらったのだ。 後で大金を払うんだから、焼肉代くらいおごってもらっていいんだと、史麻はむくれて考えた。





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