表紙

丘の家 6


 玄関を開けると、廊下に慌てて引っ込む姿があった。 母だ。 忍び足で土間に下りて、外で交わされる話に聞き耳を立てていたのだろう。
「ただいま}
 史麻がわざとはっきり声を出すと、母は階段の陰からしかめ面で手を振った。
「シッ。 あの人、暇さえあればうちを窺〔うかが〕ってるんだから」
「そんなにびくびくすることないじゃない」
 史麻はそっけなく言って、靴を脱いだ。
「早智ちゃんは消えたままだもの。 何の連絡もないから、新しい噂のネタなんて、どこにも……」
「久しぶりにあんたが帰ってきたのが、また噂になるのよ」
 母は苦りきっていた。
「鈴木さん、なんて言ってた?」
 立ち聞きしたんでしょう? と言いたい気持ちを押えて、史麻は短く説明した。
「片瀬の人たちが早智ちゃんを正式離婚したがってるとか、あの家でしょっちゅうパーティーみたいなのを開いているとか」
 リビングで、ふたりはサイダーの缶を開けた。 よく冷えていておいしかったが、話題が陰気なので空気は盛り上がらなかった。
「片瀬の人たち、道で会ったら挨拶ぐらいはするのよ。 でもそれだけ。 ひどく冷たいの」
「菊乃ちゃんも?」
「あの子は……挨拶もしない。 知らん顔してスッて通っていっちゃう」
「やっぱりね」
 冶臣の妹、片瀬菊乃は、中学校の頃からタカビーだった。 市川市の私立中学を受験して落ちたという噂があり、仕方なく梅ケ淵第二に入ったのだが、私はこんな学校にはもったいないという態度を、いつも見せていた。
 片瀬家の態度が、気の弱い母を傷つけているのだと思うと、史麻は不愉快だった。 消えた姉だけを悪者にするつもりか。 夫婦喧嘩で片っぽだけに責任があることなんか、ほとんどないんじゃないか。
 水滴のついた缶を握って考えていたとき、母がぽつりと、恐れていた言葉を口にした。
「まさかとは思うけど、早智、生きてるんでしょうね」

 史麻のこめかみが、不意に熱くしびれた。 無意識に声が尖った。
「生きてるわよ! 決まってるじゃない!」
「そう思いたいんだけど、昨夜、崖の上に立って風に吹かれてるあの子の夢を見ちゃってね……」
「逆夢よ! 自殺するなら、ぜったい私達にメールか電話してよこすって!」
 叫びながら、実は史麻自身が大声で安心しようとしていた。

 


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