表紙

 -77- 若い小悪党




 すると、両腕を捕らえられていた若い男は、水に濡れた犬のように、いきなり体を大きく動かして、いったん自由になった。
 あわてたミシェルたちが、また掴みなおすと、男はふてくされたように首を振り、垂れてきた前髪を払った。 ようやくテオフィルを見上げた眼が、灰色がかった緑色に光った。
「よく気がつきやがったな」
 ふてくされた声だった。 薄笑いを浮かべた表情といい、急に崩れた言葉遣いといい、彼はもう、端整なモンシャルム子爵と顔かたちがよく似ているだけの、まったく別人にしか見えなかった。
 テオフィルは、彼を冷たい眼差しで眺めながら、静かに言った。
「今、思い当たった。 おまえが子爵に化けて屋敷に現われたとき、表玄関ではなく、横から来たな。 あそこからだと逆光で、顔は見えても眼の色までははっきりわからない。 それを計算していたんだろう?」
 ふん、と男は口を曲げて笑い、また腕を振り払おうとしたが失敗した。
「モンシャルムの奴は今ごろデンマークだよ」
「デンマーク? なんでそんなことを知っているんだ?」
「さあな」
 男はそらっとぼけて、雲を見上げた。


 庭師たちが男を引き立てて屋敷に向かう後を、テオフィルとミレイユはゆっくりついていった。
 夫と腕を組んで歩くミレイユは、まだ衝撃がさめやらず、顎が震えていた。
「誰なのかしら。 気味が悪いほど、子爵にそっくり」
「あの口調だと、血縁じゃないだろうか」
「え?」
 テオフィルの眉が寄った。
「ジェデオンと同じ境遇で、気が合ったのかもしれない」
 ミレイユはちょっと考えた。
「つまり、子爵の異母兄弟?」
「その可能性がある」


 屋敷の奥まった部屋に男を連れて行くと、テオフィルはレオンとマリオットを同席させて、本格的な質問を始めた。
「どうしても名前を言わないなら、こっちにも考えがある。 地元の警察署は、わたしほど優しくないぞ。 崖から岩を落として伯爵夫妻を殺そうとしたおまえは、厳しい尋問で殴り殺されても、誰も文句はいわない。 なにしろ身元も身分もわからないんだからな」
 若い男のこめかみが痙攣した。 見ると、手は柔らかく、爪の手入れまでしてある。 立派な指輪を嵌めている上に、履いている靴もなかなか上等で、全体的に遊び人風だった。
 こういう人間は、たいてい暴力に弱い。 そういうテオフィルの読みは当たった。 男はふくれっ面をして、ぽつりと洩らした。
「フィリップ・バイエ」
「バイエ? 子爵と同じ苗字か?」
「そうだよ。 奴の従兄弟だ」
 正式な血縁なのか。 テオフィルはあきれた。
「ちゃんとした家の出じゃないか」
「家柄はな。 でも、あいつはうちの父親の兄の子で直系。 おまけにあいつは母親も財産持ちで、おれとは比べ物にならない富豪なんだ。 しゃくにさわるったらないよ」
「だから子爵のふりをして、罪を犯しているのか? 親が泣くぞ」
 フィリップ・バイエの口が、困ったように垂れた。
「本当に殺すつもりなんか、なかったんだよ。 誓ってもいい」







表紙 目次 前頁 次頁
背景:Star Dust
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送