表紙

 -64- 今より未来





 ミレイユは心臓がちりちりするのを感じながら、朝の薔薇園を後にした。
 ジェデオンは伯爵誘拐の主犯ではなかった。 ただの手先だったらしい。
 彼はつい最近まで、わりと真面目に家令を勤めていた。 何も知らない弟に使われることに、不満を持っていたはずだが、反逆するほどの憎しみはなかったようだ。 自分の手で殺せなかったのは、伯爵になった弟の穏やかな性格に好意を持っていたからだろう。
 そんなジェデオンをけしかけ、嫉妬心と劣等感に火をつけて、金で犯罪に巻き込んだ誰かがいる。 伯爵が死んだら、広大な領地と多額の財産を手に入れられる親戚か……
 テオフィルに訊いてみなければ! ミレイユは足を速めて、裏手から屋敷に入った。


 テオフィルの回復は早く、もうほとんど足を引きずらずに、一階の奥廊下をゆっくり歩いて、先祖たちの肖像画を眺めていた。
 軽やかな足音を聞いて振り返ったテオフィルに、ミレイユは急いで近づいた。 テオフィルは肖像画の一枚を示して、妻の意見を尋ねた。
「ずっと見てたんだが、この絵がジェデオンに似ているような気がする。 どう思う?」
 夫に寄り添って、ミレイユは羽根つきの立派な帽子を粋にかぶった若い男性の肖像画を見上げた。
「ええ、目元と顎がよく似ているわ。 この方はどなた?」
「六代前の伯爵、アルノー・ダランブールだ。 一見おおらかそうだが、実は大変なケチだったそうだ」
 そう言って、テオフィルはわずかに笑顔を見せたが、すぐ深刻な表情に戻った。
「ジェデオンが兄だったとは、夢にも思わなかった」
「彼も名乗り出る気はなかったようね」
「わたしに言うべきだった。 待遇に不満があるなら、財産分けも考えたのに」
 やはりこの人は思いやり深い。 目先の利益にそそのかされたジェデオンが馬鹿だったのだ。
「さっき思いついたのだけれど、ジェデオンには仲間がいたでしょう? 財産狙いのあなたの遠縁ということはない?」
「それはわたしも考えた」
 テオフィルは腕組みし、視線を床に落とした。
「父の姪一家がロシュフォールに住んでいる。 六百キロ以上離れた土地だ。 それにもう一人、はとこのクロヴィスがボルドー付近にいるという話を聞いたが、彼にはまだ会ったことがないし、ボルドーはロシュフォールより更に遠い」
 鉄道がどんどん延びているこの頃でさえ、六、七百キロ離れたところから旅してくるのは大変だ。 よほど金に困っているならともかく、計画が成功する見込みがはっきりしないのに、高い運賃をかけてそんな遠くから、わざわざやってくるものだろうか。
「嫌な話だけど、あなたの後はどちらが後を継ぐの?」
「姪には息子が二人いるが、直系じゃない。 クロヴィスは一親等よけいに離れている。 さて、どっちになるのかな。 わたしに子供ができる前に死んだら」
 子供……。
 ふとミレイユはあることに思い当たり、心の中で日数を数えはじめた。
 結婚してからずっと、夫とベッドを共にしている。 例外は、彼が消えた、ほんの短い間だけだ。
 もう二ヶ月以上になる。 忙しかったし事件まで起きて、気づかぬままに過ぎてしまったが、もしかすると私は、身ごもっているかもしれない……!








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