表紙

 -59- 噂の真相は





 テオフィルの眉間に、深い皺が入った。
「おい、モンシャルム、君までか? 何の証拠があって、そんなことを言う?」
「証拠だと? それならはっきり言おう。 この屋敷に勤めていたポリーヌという娘が身ごもったが、君はまったく責任を認めず、その子を無一文で放り出した。 そのせいでポリーヌは世をはかなみ、近くにある川に身投げしたそうじゃないか」
「そんなの嘘です!」
 テオフィルより早く、ミレイユが叫んだ。
 はっとして見上げた子爵の顔が、青ざめて歪んだ。
「貴女は知らないんだ。 世間は貴女が考えるより、はるかに汚い。 いくら男らしく見えても、裏のある人間は山ほどいる」
 ミレイユは思わず笑い出しそうになった。
 どんなに世の中が汚いか、私が知らないと思っているんだ。 裏切り、縄張り争いの殺人、誘拐に人身売買。 その中を必死にくぐりぬけてきた私に向かって、この人は……
 あなたのほうが、ずっと世間知らずで純情よ──そう言い返したいのを押さえて、ミレイユは夫の手首をしっかり握り、静かに答えた。
「身近にいる人から、正体は隠せません。 私の夫は、この屋敷にいる使用人の人たちから慕われています。 証拠なら、たぶん私たちのほうから出せるわ。 待っていてください。 今証人を連れてきますから」
 そう言い終わるやいなや、ミレイユは身をひるがえして家の中に駆け込み、料理人のフロランス・マルシャン夫人を求めて廊下を走った。


 マルシャンは、早くも昼食の準備に取りかかっていた。 だが、ミレイユが飛んできて、殿様の危機だと告げると、すぐに小麦粉をこねていた手が真っ白なまま、エプロンをひるがえして一緒についてきてくれた。
 その後から、厨房の下働きたちも続き、廊下に待機していた従僕たちまで加わって、裏口に戻ったときには、ミレイユとマルシャンは七人もの強そうな使用人に守られていた。
 子爵は、別れたときのまま、庭に立っていた。 そしてテオフィルも、扉から一歩も動いていなかった。 二人で何か話し合っていたのか、それとも無言で睨みあっていたかはわからない。
 ミレイユは、さっそくマルシャン夫人を前に押し出すようにして、手短に質問した。
「川に身を投げたポリーヌについて、知っていることを話してくれる?」
 とたんに背後の守備団にざわめきが走った。
 マルシャン夫人は、腕を組んで伯爵をにらんでいる美男子をちらちら眺めながら、はっきりした声で語り出した。
「いばる人に無理やり言うことをきかされましてね。 お腹が大きくなったら、手のひらを返したようにクビになったんですよ」
「やっぱりだ」
 子爵が顎を上げ、光る眼でテオフィルを見つめた。
「わたしの聞いたとおりだ」
「貴方さまがどなたで、何をお聞きになったか知りませんが」
 マルシャンは子爵の服装を見て、言葉遣いだけは丁寧に言い返した。
「やったのはこのお屋敷の家令です。 名前はジャン・ジェデオン。 下働きを雇うもクビにするも、家令の自由だと言ってね」
 臨時の守備団員たちが、一斉にうなずいた。 雇い人たちの間では、みんな知っている話だったらしい。
 ミレイユはそれを聞いて、怒りに体が震えた。
「それがなぜ、間違った噂に?」
 思い入れたっぷりに、マルシャンは服を粉だらけの手で撫でつけた。
「わかりませんねぇ。 たぶん、こっそり言いふらす人間がいたんでしょう。 自分のせいだとばれないようにね」
 子爵がたじたじとなっている間に、テオフィルが従僕に命じた。
「ジェデオンを探して、すぐここに来るように言ってくれ」
「かしこまりました」
 従僕は嬉しそうに顔を輝かせて、早足で戻っていった。







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