表紙

 -58- 誘われても




 さっそうと近づいてくる優雅な姿は、見間違えようがなかった。 モンシャルム子爵セレスタン・バイエだ。 テオフィルと並んでミレイユを救おうとしてくれた、あの美男の貴族だった。
「子爵様……」
 あっけに取られたミレイユの手を取ると、モンシャルム子爵は優しく唇をつけて恭しく挨拶した。
「すみません、懐かしくてつい名前でお呼びしてしまって」
「いいえ。 お久しぶりです。 御用でこの地方へ?」
「貴女にお会いしたくて来ました」


 あまりにもはっきりした物言いだった。 ミレイユは当惑し、まだ握られたままだった手を、そっと引っこめた。
「私に?」
「はい。 友人の何人かからアランブール伯爵の話を聞かされました。 あの半分でも事実なら、貴女にふさわしい夫とは思えません」
「待ってください」
 ミレイユは、むっとなった。 無責任な噂など信じてもらっては困る。 それに、こんなところで男性と二人きりになるのは、貞淑な人妻としては困ったことだった。
「どうか屋敷へお入りになって。 お話は中で伺いますから」
「待って!」
 先に立って行こうとするミレイユの袖を、子爵が掴んだ。 ぎょっとして、ミレイユは振り払おうとした。
「やめてください。 いったいどうなさったの?」
 子爵の顔は赤らんでいて、必死だった。 青く澄んでいたはずの眼は、情熱で曇ってうるんでいる。 こういう熱い眼差しを夫以外の男に見ると、ミレイユは怖くて体が震えてくるのだった。
「離して。 お願いですから離してください!」
「お願いするのは僕のほうです。 彼は貴女にはふさわしくない。 どうか一緒に逃げてください。 僕にはイタリアに家があります。 スイスにも別荘が。 きっと貴女を幸せにしますから」
 困りきって、ミレイユはもがきながら決心した。 子爵がいい人なのはわかっている。 でも駆落ちをせまるなんて信じられない。 ここは悲鳴を上げて、助けを求めるしかないのか。
 必死で口をあけたとき、まだ叫び出さないうちに、聞きなれた低く豊かな声が耳に届いた。
「手を離したまえ」


 子爵は体を固くし、はずみで指がゆるんだ。
 すぐミレイユは彼の傍から逃げ出し、脇の扉から姿を見せた夫めがけて、一目散に走った。
 飛びついてきた妻を背後に庇ったテオフィルは、もめていた相手が誰かを知って、驚きの声を上げた。
「モンシャルムか?」
 子爵は苦い表情で、乱れた上着を整えてから顔を上げた。
「そうだ、アランブール。 僕も君と同じく、モンルー侯爵夫人から頼まれて、ミレイユさんの保護を引き受けた。 君がその人をかっさらって去った後、いろんな筋から君の二重生活を知らされて、深く後悔したんだ。 あっさり引き下がるべきではなかったと」







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