表紙

 -56- 領主気取り




 熟睡できたため、翌朝の目覚めは爽やかだった。
 伸びをしながら起きようとしたミレイユは、何か温かいものにぶつかって、あわてて目を開けた。 すると、すぐ横でテオフィルの笑顔を発見した。
「あ、ごめんなさい」
「痛くなかった。 おはよう」
 ミレイユが半身を起こして夫にキスすると、熱烈に返された。 ミレイユは彼の頭をしっかりと抱き、胸に押しつけた。
「私にはあなたが必要なの」
「わかってる」
「あなたが大事」
「わたしも君が大事だ」
 ミレイユは、夫の顔中に唇を押し当ててから体を離し、裸足でベッドから降り立った。
「朝食はまだここに運ばせましょうか?」
「いや、昨日部屋の中で歩く練習をしたとき、ちゃんとまっすぐ歩けたから、手すりを使えば下まで降りられる。 久しぶりに自分で食べる物が選べるよ」
「じゃ、後で朝食室で」
 なごりおしそうにつないだ手が伸び、指先が離れた。 ミレイユは夫に優しい笑顔を残して、そっと扉から自室に戻った。




 断言したとおり、テオフィルはしっかりした足取りで食事室に入ってきた。
 夫妻二人で仲良く煎り卵と生ハム、チシャサラダにコーヒーという軽い朝食を取り、その後、ミレイユは仔犬のシュシュを連れて、散歩という名目で外に出た。
 一人で歩くのは危険なので、馬屋からミシェルという若者をお付きに頼んだ。 ミシェルはエクトールの世話をよく任される、真面目で働き者の男だった。
 ミレイユは、彼から詳しく、テオフィルがいなくなった日の朝のことを聞くことができた。
「あっしが起きて、馬たちの様子を見たときは、エクトールは確かにいました。 上機嫌で、飼い葉もよく食べたし、何の問題もなかったんです。
 それなのに、少し後で馬房に戻ってみたら、いませんでした。 傍にある鞍もなくなってて」
「それで、伯爵が自分で鞍を装着して出かけたと思ったのね?」
「はい、そうです。 お若い頃から、よくご自分でなさってましたから」
 エクトールという馬は、立派な軍馬になれそうなほど大きくて力強く、気も強そうだ。 知り合いでない赤の他人が鞍をつけようとしても、おとなしく従うだろうか。
 ミレイユがそれを訊いてみると、ミシェルはあっさり首を横に振った。
「いやいや、無理でしょう。 あいつはとても賢い馬です。 知らないやつがうっかり近づいたら、蹴られますよ」
 息を潜めて、ミレイユはもう一つ訊いた。
「じゃ、屋敷の使用人なら? たとえば、家令のジェデオンさんだったら?」
 とたんにミシェルの視線が逸れ、具合悪げに肩まで縮んだので、ミレイユは驚いた。
「ミシェル?」
「すいません!」
 ミシェルは突然、帽子を取って、頭をぺこんと下げた。
「あっし達、断れなかったんです。 殿様がお留守の間、ジェデオンさんはときどき、エクトールを乗り回してました。 一言でもしゃべったら、すぐクビにしてやるって脅されて」
 ミレイユは大きく息を吸った。 腹立たしいこと、このうえない。 ジェデオンは主人の愛馬を、自分のもののように扱っていたらしいのだ。
「あの誇り高い馬が、よく我慢して乗せたわね」
「怒ってましたよ。 よく振り落とそうとしてましたが、ジェデオンさんは乗馬がうまくてね。 乗りこなしてやったと、いつも自慢げでした」








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