表紙

 -55- 大切な人と




 結局、外ではマッティの部下で口の固いレオとジェラールが、屋敷の中では家令に嘘つきよばわりされて怒っているベットとエマが、ジェデオンをさりげなく見張ることが決まった。


 これで、ミレイユがいないときにテオフィルが襲われるという危険は、だいぶ減った。 明日からは本格的に、消えうせた彼の愛馬エクトールの行方を探そう。
 そう決めて、ミレイユは十一時近くに眠りについた。
 安心したはずなのに、寝入って間もなく、悪夢にうなされた。
 晴れた朝、野原を散歩していると、背後から蹄の音が近づいてくる。 なにげなく振り返ると、エクトールがいななきながら、あの林を飛び出して、こちらに駈けてきた。
 ミレイユが呼び寄せていたとき、林がいきなり二つに割れて、巨大な顔が出現した。 なんともいえず賎〔いや〕しい表情で、よく揃った歯をむきだしてニヤニヤ笑っていた。
 その顔が、以前彼女をさらったギャングにそっくりなのに気づいたミレイユは、飛び上がって必死に走り出した。 しかし、泥につかったように足が動かない。 前を逃げていくエクトールがどんどん小さくなり、やがて見えなくなった。


 ミレイユは、あえぎながら暗がりを手探りして、ベッドから降りようとした。 その手がすべり、ずるっと絨毯に落ちてしまった。
 暖かい夜なのに、全身鳥肌が立っている。 いてもたってもいられず、続き部屋につながる扉を開き、夫の寝室に飛び込んでしまった。
 中は暗く、静かだった。 テオフィルが熟睡しているにちがいないと思ったミレイユは、そっと足音を忍ばせてベッドに近づき、そばにあった椅子に腰を降ろした。 彼の近くにいるだけで、心が落ち着く。 恐怖を振り払えたら、また自分の寝室に戻ろうと思った。
 だが、すぐ低い声が耳を打った。
「どうした?」
 とたんに張り詰めていた気持ちが折れ、ミレイユは夫に身を投げて抱きついた。
 しっかりした腕が受け止め、髪を撫でた。
「眠れないのかい?」
「ひどい夢を見たの。 それだけなんだけれど」
 告白しながら、子供のようで恥ずかしかった。 でもテオフィルは、いつものようにわかってくれた。
「疲れがたまっているんだな、わたしの心配で」
「私は弱虫なの」
 肩にのしかかる責任の重さに参りかけていることを、ミレイユは素直に認めた。
「あなたがいないと、やっていけない。 だから、どんなことをしてもあなたを守りたい」
「大丈夫だよ。 もうずいぶん元気になった。 明日には歩ける」
 そろそろ立ってもいいと医者が言ったのは知っているが、ミレイユはまだ心配だった。
「ねんざは直りにくいと聞いているわ」
「最初の手当てがよかったんだろう。 腫れがすぐ引いたし、もう力をかけても痛まなくなった」
「じゃ、ゆっくり寝て英気を養わないと」
 自分が夫の眠りをさまたげていることに、ミレイユは気づいた。 それで、頬に唇をつけて立ち上がろうとすると、不意に引き寄せられた。
「ここにおいで」
「え?」
「お互いに守り合おう。 ここにいれば安心だ。 ほら」
 そう言って、テオフィルが近くの脇机にある布をめくった。 その下には、淡い月光ににぶく光る拳銃が置いてあった。
「ああ……」
 テオフィルもちゃんと用心していたのだ。 だから素早く目覚めたのだろう。 ミレイユは、彼の近くにいたいという望みに負け、大きなベッドにすべりこんで、広く温かい胸に顔を埋めた。







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