表紙

 -51- 怪しげな男




 裸足で作業衣をまとった伯爵が、レオンに支えられて小舟から降り立つと、泊まり場近くにある洗濯小屋から洗濯係の女性たちが飛び出してきて、大騒ぎになった。
 その後ろから、先に小屋を出たマッティたちと馬屋番の若者たちが駆けつけてきた。 若者二人は、垂れ布のちぎれた古い輿〔こし〕を運んできていた。
「馬屋奥の倉庫にあるのを思い出しましてね。 これなら足を地面につけなくても、二人で運べます」
「ありがたい」
 テオフィルは、十八世紀に使われた古い輿に重心を移して座り、ほっとした様子で柱を掴んだ。
 くっきょうな若者たちは、七十五キロはあろうかという大柄な伯爵を、前後の心棒で軽々と運んでいった。 ミレイユが後を追うのに小走りにならなければならないほど、二人の持つ輿は速かった。


 屋敷に入っても彼らは活躍し、広い階段を上って伯爵を寝室まで運んだ。
 ミレイユは急いでマリオットを探し出して、事務室にいた彼に短く事情を話した。 マリオットは驚愕して、すぐ二階へ飛んでいった。
 それからミレイユは裏口から出て、馬屋に走った。 そして馬屋番頭に、伯爵が怪我を負ったから誰か医者を呼んできてくれと頼んだ。
 頭はすぐ、トマという男を呼んで命じた。 まじめでしっかりしていると定評のある若者だった。


 息を弾ませながら母屋へ戻ってくると、廊下を家令のジェデオンがこっちへ歩いてくるのが見えた。 喧嘩腰の軍鶏〔しゃも〕のように肩を怒らせ、目が三角になっている。 ミレイユは立ち止まり、息を整えて対決に備えた。
 目の前に来ると、ジェデオンは挨拶抜きで、いきなり非難の口火を切った。
「殿様がお怪我をなさったそうですね。 どうして一番に、わたしに知らせてくださらないのです。 わたしはこちらの家令で、総取締りなのですぞ」
 何を言ってるの? 伯爵を見つける邪魔をしたのは、他ならぬあなたじゃないの──わざとしたのか、ただ頑固なだけなのか、まだ判断することはできないが、ミレイユは非常に腹が立った。
「私は今朝、怪しい音を聞いたのです。 地下から聞こえてきたので、探しました。 見つけなければ、伯爵はあと数日で衰弱死していたでしょう」
「ですから、まずわたしに知らせてくだされば……」
「小屋を開けるのに反対だったじゃありませんか」
 ジェリオンはむっとして、反り返った。
「それは、あんな迷信深い小娘の言うことなど、信用できなかったからです」
「でも、あの人たちは正しかった」
 激怒しているせいで、ミレイユはいつになく勇敢だった。 優しい顔が紅潮して、眼がたじろがず睨み返してくることに気づいたジェデオンは、少し折れた。
「まあ、今回だけは」
「すぐにお医者様が来ます。 二階の伯爵の寝室に案内してさしあげて」
 命令されて、ジェデオンは目を細め、厚い瞼を下げた。 不満なときの癖だ。 しかし、今のミレイユはたじろがなかった。 もし、この傲慢な男が伯爵の危難に少しでもかかわっているのなら、絶対に許さない、と心に決めた。










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