表紙

 -50- 謎の襲撃者




 テオフィルには、体力はともかく気力はまだ余裕があるようだった。
 しかし、ミレイユはそれどころではなかった。 安心と不安が入り混じって、自分のほうが涙ぐんでしまった。
「いったい、いつからここに?」
 レオンに助け起こされながら、テオフィルは呻いた。
「昨日の朝からだ、うっ」
 最後の呻き声は、左足を地面につけるとき、無意識に出てしまった。
 たちまちマッティが心配そうにかがみこんで、足首を調べた。
「ひねりましたか?」
 爪先をゆっくり伸ばしてみて、伯爵はほっとしたように薄く微笑んだ。
「ああ、だが折れてはいないようだ」
 傍でじりじりしていたジェレミーが、我慢できなくなって小さく叫んだ。
「誰が殿様にこんなことを!」


 みんな一斉に口をつぐんだ。 全身で聞き耳を立てている。 沈黙の中で、テオフィルは声を落とし、慎重に答えた。
「わからない。 意識が戻ってから、ずっと思い出そうとしているんだが」
「意識がなかったの?」
 立ってレオンの太い腕に支えられたテオフィルは、おろおろしている妻に優しい目を向けた。
「そうなんだ。 朝、遠乗りしようと思って裏口から出て、樫の小道を歩いていると、不意に後ろから、頭に何かを被せられた。
 すぐ振り払おうとしたが、できなかった。 少なくとも二人の人間が背後にいたんだ。 腕を掴まれ、口と鼻を押さえられて息が続かなかった」
 ミレイユはぞっとして、気持ちが悪くなった。
「あ……あなたを窒息させようと……?」
「どうかな。 気絶させて、ここへ楽に運び込もうとしたんだろう」
 広い酒倉を改めて見回したマッティが、低く唸った。
「こんな地下倉があるのを、ご存知で?」
「子供のときに一度だけ、父に連れられて来たことがある。 そのときは川岸に舟を付けて入った」
「ご家族の秘密だったんですね?」
「話は後にしましょう」
 ミレイユがきっぱりと遮った。 夫の体が心配で、たまらなかったのだ。
「早く屋敷に戻らなければ。 でも来た道だと狭すぎるし、階段が大変だわ。
 川岸の入り口はもっと近いかしら」
「すぐそこだ」
 伯爵は左手を上げて、右奥を示した。
「だが、閉まっている。 這っていって確かめたんだ」
 すぐマッティが奥に進み、大きな両開きの木戸を見つけた。
「ここから酒を運んでたんでしょうな。 おっと、鍵が内側だから、と」
 ガツンという音が響き、彼が容赦なく古い鍵を叩き壊したのがわかった。
 やがて扉が大きく開かれ、光が一面に差し込んで来た。 外には狭い川岸が横に伸び、きらめく川面では水鳥の親子が中を覗き込むようにしながら、急いで一列縦隊を組んで遠ざかっていった。
 よどんだ空気が流れ出たため、一同は無意識に深く息を吸った。
「こっちは外から開けられないから、小屋から殿様を運んだんですね。 そのとき、乱暴に放り投げたんでしょう」
 マッティが憎々しげに呟いた。
「とんでもないことしやがって、見つけたらただじゃおかない」
 助っ人たちも一様に大きくうなずいた。


 身軽なジェレミーが使いに出され、五分もせずにボートを漕いで戻ってきた。
 舟には伯爵とレオン、それにミレイユが乗り込むと一杯になった。 残りは木戸を閉めて鍵を付け直し、小屋から出てそちらもきちんと閉じる役目を負って、ぞろぞろと酒倉を後にした。











表紙 目次 前頁次頁
背景:Star Dust
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送