表紙

 -48- 地下で響く




 いきなり足元に開いた細長い穴を、ミレイユは魅入られたように見つめた。
 まだ全てが現われていなくて、狭い。 八十センチ×三十センチくらいだ。 その穴にうっかり踏み込まないよう、薪の山に触れて落とさないよう気を使いながら、ミレイユはそろそろと後ずさりした。
 偶然押しただけなのに、意外なほど軽く、壁は外側へと動いた。 薪山の下に敷かれた、例の二センチの厚板の下に、車輪かコロが設置されているのだろう。
 穴の中から、冷たく湿った空気が上がってきた。 おそらく、川岸に繋がっているのだ。
 そこから角の生えた牛のような怪獣が駆け上ってくる想像が、頭を巡る。 そんなことは現実にはないとわかっていても、ミレイユの足は震えはじめた。
 さっき聞こえた無気味な音は、まったく響いてこなかった。 小屋の上も下も、不気味なほど静まりかえっていた。


 驚きでぼんやりした頭が次第に冷えて、ミレイユは次にどうすべきか考えた。
 壁は三十センチしか動いていない。 小屋の後ろに回らなければ、仕掛があるのは表からはわからないだろう。
 これから屋敷へ飛んで帰って、頼りになる男の使用人を連れてこよう。 穴の中がどうなっているのか、ちゃんと調べなければ。
 ミレイユは、ケープの襟元を片手で合わせながら、よろめくように小屋を出て、小走りで道を戻った。


 最初に見つけたのは、庭師の下働きをしている少年だった。 堆肥用の馬糞を手押し車で運んでいた彼は、ミレイユが息せききって駈けてくるのを見て、びっくりして立ち止まった。
「奥方様……」
「ジェレミー! よかった! 庭師頭のマッティはどこ?」
「え?」
 ジェレミー少年は、ぼうっとした表情で背後をうかがい、薔薇園の端で支柱を直している後姿を手で差した。
「親方ならあそこにいます」
「ありがとう」
 一目散にマッティに向かって走りかけて、ミレイユは足を止め、ジェレミーに言い残した。
「他の庭師の人たちも呼んで! それと、松明も持ってきてね! でも家のほうには行かないで。 ジェデオンさんには絶対気づかれないように!」
「わかりました、奥方様!」
 少年はようやく完全に目覚めたらしく、はっきりと答えて、朝霧の中に姿を消した。


 数分後、マッティ以下七人の庭師が集まった。 広大なアランブール邸の庭園には、いつも四十人以上の世話係がいて、交代で働いているのだ。
 今度は剪定鋏や熊手、スコップなどを手にした一団を連れて、ミレイユは林に引き返した。 小屋は相変わらず平和にたたずんでいる。 入り口も、ミレイユが逃げ出してきたときのまま、掛け金がぶらさがっていた。
 髭面のマッティが、武者震いをして号令をかけた。
「さあ、中に入るぞ。 レオン、力自慢のおまえから行け」
 筋肉りゅうりゅうのレオンは、すぐうなずいて、手にした鉈〔なた〕をふりかざしながら、ドアを蹴り開けた。
 室内も、やはり元のままだった。 床に開いた暗い穴を見つけたレオンが唸り、ミレイユを振り返った。
「これをこじ開けるんで?」
「いいえ、奥の壁を押すと開くの。 ちょっと待って。 私がやります」
 ミレイユは素早くすべりこみ、壁を突いた。 周りに庭師たちが詰め掛けているので、もう怖くなかった。
 すると、床がゆっくり外側に動いていき、穴は完全な正方形になった。 周囲で驚きと感心のどよめきが上がった。
 マッティが、すかさず松明に火をつけた。 そして、暗い穴に差し込んで、中の様子を見ようとした。
「石の階段がありますぜ、奥方様」
 やっぱり通路になっているようだ。
「何か、音が聞こえる?」
 一同は動きを止め、耳を澄ませた。
「いや、聞こえません」
 マッティが、慎重な口調で呟いた。 ミレイユは穴の縁に膝をつき、手を口元に当てて、、高い声をかけてみた。
「誰か、隠れているの?」
「奥方様、あぶないですよ。 もし悪党がいて、銃を持ってたら」
 あわてて、ミレイユは穴から後ずさった。
 そのとき、音が聞こえた。
 壁に何度もこだまして、不明瞭になっているが、かすかに言葉が聞き取れた。
「ここだ…… 来てくれ……」









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