表紙

 -46- 悪夢と現実




 屋敷へ戻る途中も、ミレイユは耳をそばだてて、洗濯係たちの言った不気味な唸り声が聞こえないか注意していた。
 だが、夜風に乗ってくるのは、使用人たちの低い話し声と、叢〔くさむら〕で鳴く虫の音だけだった。


 その晩、ミレイユはなかなか寝付けなかった。 真夜中になってようやく眠りが訪れたが、夜明けに恐ろしい夢を見て飛び起きた。
 夢の中で、ミレイユは知らない屋敷の中をさまよっていた。 出ようとして新しい扉を開くたびに、周りはどんどん暗くなっていく。 扉をあきらめて窓のカーテンを開いた。 ひどく重い。 その上、外は家の中よりもいっそう暗く、まるでぽっかり開いた地獄の穴のようだった。
 しかも、その暗闇は揺れていた。 上下左右にねじ曲がり、やがて奇妙な音を発しはじめた。 これが鬼の唸り声……!
 冷や汗にまみれて、ミレイユはくしゃくしゃになったベッドに座り込んだ。 鬼退治なんかに出かけたから、こんな悪夢を見たのだろう、と思った。
 不審者の気配はどこにもなかった。 エマたちは神経質になって、風音か枝がなびく音を唸り声とまちがえたにちがいない。
 そう自分に言い聞かせて、また横になったとき、不意に心臓の鼓動が速まった。 奇妙な現象だった。 ふつう、不安が鎮まるにつれて鼓動も穏やかになっていくものだ。 それなのに、目覚めて夢だと確認し、ほっとしたとたんにどきどきが激しくなるとは。
 やがて、じりじりした焦りが新しく生まれた。 このままではいけないという気がする。 なぜか見当がつかないのに、じっとしていられなかった。


 結局、ミレイユはそのまま目を覚ましていて、明け方の光が差し込んできたのを知ってベッドから降りた。
 時間が早すぎて、ジェルメーヌを起こすのは気の毒だ。 自分でさっと着替えてから、夏用の薄いケープをまとい、裏の階段を下りた。
 涼しげな花が一斉に開いた美しい庭園を見て回れば、少しは気分が晴れるかと思った。 だが気がつくと、足が自然に川の方へ下りていた。 明るい日光のもとで見ると、小さな林は牧歌的だし、川面はきらきらして楽しげで、夜感じた暗い雰囲気はどこにもなかった。
 炭焼き小屋も、昨夜思ったより小さく見えた。 木漏れ日が屋根に当たって、童話の家のようだ。 掛け金は昨夜外されたままで、扉の表にぶらさがっている。 ミレイユは好奇心に負けて、そっと押してみた。
 かすかなきしみ音を残し、扉が開いた。 ミレイユは、はっとして目をこらした。
 室内の様子が変わっていた。 床が踏み荒らされ、薪の山が一部崩れていた。
 やっぱり誰かいたんだ!
 ミレイユは背筋が寒くなって、じりじりと後ずさりした。 穏やかな景色に誘われて、一人で来てしまった。 なんて危険なことを!
 その瞬間、音が聞こえた。 遠くから響いてくる、壊れたオーボエと地鳴りが混じったような、実に気味の悪い音が。








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