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支度をして
ここでひるんだら、すべてを失う。
言葉が喉に引っかからないよう、ミレイユはそっと深く呼吸してから、一気に言った。
「できるだけ早く結婚を完成させないと、叔父がすべて壊してしまうかも」
載せている彼の手に、力が入って強ばるのがわかった。
大胆なことを仄めかして、ミレイユの顔は日の出のように真っ赤になっていたが、後悔はしていなかった。 まちがいなく本当のことだから。
テオフィルはゆっくりとナイフを置いた。 それから、低く不明瞭な声で答えた。
「では、後で君の部屋に行こう」
ミレイユは一瞬眼をつぶり、それから火がついたように彼の手を放した。
それからが大変だった。 何しろミレイユは、無関心で意地悪な叔父のもとで子供時代を過ごした上、学校で仲良しだったのはずっと年下のアンリエットだけで、いわゆる女の子同士の『いけない話』に加わったことが一度もなかった。
男嫌いだったから好奇心もあまりない。 これから何が起きるのか、まったくといっていいほど知らずにすませていた。
でも、とミレイユは自分に言い訳した。
深窓の令嬢というものは、ふつう何も知らないんじゃないの? すべてを夫に任せて、教えてもらえばいいんだわ。
たぶん……。
これから頼れる人は、夫のテオフィルしかない。 彼に気に入ってほしかった。 だから荷物をジェルメーヌと一緒に開けて、一番優雅なレースとピンタックのついた夜着を取り出し、身にまとった。
ミレイユがそわそわしているのを、新しく小間使いに昇格したジェルメーヌは姉のような眼差しで追いながら、ガウンを取り出して着せかけた。
「ありがと……う」
礼を言うのに、歯の音が合わない。 早くから緊張しすぎだとわかっていても、落ち着けなかった。
すると背後から、ジェルメーヌの静かな声がした。
「御前様は、それはご親切な方です。 どうか安心なさってください」
ミレイユは何度も大きくうなずいた。 わかっているのだ。 自分の弱い心に勝てないだけで。
「いい方だわ。 あの人とモンシャルム子爵を見つけてくださった大叔母様に感謝しています」
驚いたように、ジェルメーヌが息を引くのが聞こえた。
「モンシャルム子爵? パリで一、二を争うといわれる花婿候補ですか?」
「えっ?」
ミレイユはびっくりして振り向いた。
「そうなの?」
「そうですとも」
ジェルメーヌはきっぱりと言い切った。
「お美しくて優しいだけでなく、家柄も立派で、おまけに稀な財産家です。 冒険家でもいらっしゃって、一昨年中央アジアで見事な遺跡を発見されたとか」
「よかった」
思わずミレイユはそう口に出してしまった。 子爵が活動的で、すぐ旅行したがる探検家だったなんて。 そういう活発すぎる人が、退屈な私なんかと長く一緒にいたがるはずはない。 それに、国内旅行も好きではないのに、妻として外国へ彼に従って行くのは、大変な苦痛になりそうだ。
首をかしげたジェルメーヌに、ミレイユは微笑みかけた。 もともと決断を後悔していなかったが、これでますます確信が持てた。
「子爵がそういう方なら、伯爵についていくことにしてよかったわ」
「まあ」
ジェルメーヌは眉を吊り上げ、それから小さく笑い出した。
「奥方様は見た目に惑わされない、しっかりした方なんですね」
そう言ってから、慌てて言葉を継いだ。
「すみません、差し出がましいことを言って」
「いいえ。 でも、しっかりしたなんて言われたのは生まれて初めて」
ジェルメーヌの意外な見方に、ミレイユは強くはげまされたような気分になった。
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