表紙

 -13- 苦い過去1




 伯爵の男らしい顔が上から降りてきたとき、覚悟をしていたにもかかわらず、ミレイユの全身が強ばった。 恐ろしい記憶が、寸時に蘇〔よみがえ〕った。


*   *


 大叔母に引き取られて一年近くになる。 そのきっかけになったのは、ある忌まわしい事件だった。
 去年の五月、パリにある女子修道院付属学校を卒業する間際に、当時の後見人だったジュスタン・デフォルジュが馬車に乗って、ミレイユを迎えに来た。
 ミレイユは驚いた。 七歳でデフォルジュ夫妻に引き取られて十年間、ジュスタンが彼女に関心を見せたことは一度もなかったからだ。


 彼はいつも冷たく、非情でさえあった。 子供のできなかった妻が姪をかわいがるのをひどく嫌い、自分の前でミレイユが口をきくのを極端にいやがった。
 それでも、やさしい叔母のリディアーヌが生きているうちは、ミレイユも幸せだった。 もともと内気な性格だが、心を閉ざすことはなかったし、その必要もなかった。
 叔母が腸チフスで不意に亡くなった後、孤独と恐怖がやってきた。 義理の叔父ジュスタンは、それまでの優しく朗らかな家庭教師を首にし、規則一点張りの中年婦人をどこからか連れてきて、ミレイユからすべての遊びと喜びを奪った。
 ジュスタンは、ミレイユのすることなすこと、すべて気に入らなかった。 会えば冷たい目で睨み、ささいな決まりを破ったといっては、容赦なく手を樺の鞭で叩いた。 ミレイユはできる限り彼の視野に入らないよう、広い屋敷を隠れてまわり、同情した料理人の協力で裏口から逃げて、ごくたまに半時間ほど静かな森や川岸を歩いた。
 楽しみといったら、木の葉のそよぎと水音に包まれて、野ウサギの姿を眺め、枝を飛び移る小鳥の歌に耳をすますぐらいだった。 それと、家から持ち出した小さな手帳に、愛らしい彼ら小動物を急いでスケッチすることと。
 それも一時間を越すと危なかった。 外出していたと分かれば、まちがいなく鞭が待っている。 使用人たちの密かな親切にもかかわらず、ミレイユはどんどん暗く、無口で無表情な子供に変わっていった。


 その後、短い救いのときが訪れた。 村の新任神父が訪れて、ジュスタンとしばらく話し合った後、叔父はしばらく苦虫を噛みつぶしたような顔で書斎を歩き回った後、いきなり姪を呼び出して、氷のような声で言い渡した。
「もうお前のような役立たずの顔を見ているのはうんざりだ。 ここで食わせて勉強させる費用もバカにならないしな。
 パリに安い寄宿学校があるらしい。 ギマール神父が推薦状を書いてくれるというから、すぐ行かせることにした。 さっさと荷物を作れ。 明日の早朝に出発だ」


 初め、学校も辛かった。 子供は野生動物に近いから、弱い者には遠慮しない。 うまく口がきけないミレイユは、皮肉を言われ、仲間外れにされ、そのうち無視されるようになって、二年半が過ぎた。
 そこへ、小さな女の子が入ってきた。 組のみんなより三つか四つ若いが、賢いので飛び級してきたのだ。
 普通なら生意気で、こまっちゃくれているはずだ。 だがアンリエット・オードランは違った。 むしろ正反対。 おっとりしていて明るくて、驚くほど人情に厚かった。
 アンリエットは初日で、組の生徒大部分の心を掴んでしまった。 そんな彼女に、ミレイユは憧れた。 あんな性格に生まれたかったと、心から思った。






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