表紙

 -5- 森への散歩




 涙ぐんだミレイユを見て、モンシャルム子爵はすぐハンカチを出し、慰めようとした。 心遣いの細かさにミレイユは感謝したが、反面せきたてられるような軽い焦りも感じた。


 一時間ほど滞在してから、若い貴族たちは礼儀正しく別れの挨拶をした後、相次いで帰っていった。
 二人を見送った後、どっと緊張が解けて、ミレイユは玄関広間でよろめき、手近にあった彫刻置き台に倒れこんでしまった。
 けたたましい物音に、従僕と部屋女中が駆けつけてみると、ついさっきまで偉そうに広間を見下ろしていたマーキュリーの像が台座から消え、大理石の床に転がっていた。
 そして、鼻の欠けた像に抱きつくようにして、ミレイユが座り込んでいた。 あわてた従僕と部屋女中が手を貸して立ち上がらせると、ミレイユは小さくしゃっくりしてから笑い出した。
「あ……あの顔を見て。 あんなにハンサムだったのに、鼻に穴があいたらすごく間が抜けちゃって……!」
 そこへ現われた女中頭のルマール夫人は、ミレイユがヒステリー寸前になっているのを見て取り、応接間の横にある控えの間まで連れて行って座らせてから、ブランディを持ってこさせた。
 素早い処置のおかげで、間もなくミレイユは落ち着きを取り戻し、そのうち細い首をうなだれて居眠りを始めた。 ルマール夫人は頭を振りながら部屋女中たちを追い立て、そっと控えの間の扉を閉めた。
「奥方様が亡くなってすぐ、今度は殿方のおでましだからね。 疲れきるのは当たり前だわ。 みんな、お嬢様をそっとしておくのよ。 少し寝なされば、また元気が出てくるでしょうからね」




 子爵は翌日の午後、すぐに再び訪問してきた。
 できるだけ早く婚約を決めなければならないのは、求婚者だけでなく、ミレイユにもよくわかっていた。
 大叔母の死を知ったとたんに、ジュスタン・デフォルジュは喜び勇んで駆けつけてくるだろう。 今はパリから二五○キロ離れたマルヌ川沿いの自宅にいるはずだが、事情を知って馬を飛ばせば、最短四日で来られる。
 だから婚約までの期限は、一週間と見ておいたほうがいい。 ジュスタンが正式にミレイユの後見人になろうとする前に、大叔母によって婚約が成立した形にしておかないといけないのだ。
 その日、モンシャルム子爵は最新型の馬車を御してやってきた。 朝からよく晴れていたので、フォンテーヌブローの森まで馬車で散歩に行かないかと誘いに来たわけだ。
 当然、行くべきだった。 ミレイユは勇気を奮い起こし、モスリンの外出着に着替え、絹のパラソルを持って、優美な二人乗り馬車に、手を引かれて乗り込んだ。
 淡くにじんだような青空の下、他にも馬車や馬で、着飾った多くの男女が森を散策していた。 子爵はすっかり上機嫌で、すれ違う馬車に乗っている知り合いに挨拶しては、その後、誰だったかミレイユに教えてくれた。
「今のはルジュヌ男爵と、婚約者のヴァランティーヌ嬢ですよ。 ルジュヌは落ち着いて見えますが、去年の夏に酔っぱらってポン・ヌフ橋の欄干〔らんかん〕を歩いていて、まっ逆さまに落ちてあやうく首の骨を折るところだったんです」
 子爵は笑い話のつもりだろうが、ミレイユは肝を冷やした。
「結婚前に命を落としたら大変でしたね」
 真面目に心配するミレイユを、子爵は不思議なものを見るような視線で眺めた。
「ウオッカを二杯飲んでまっすぐ歩けるか、という賭けをしたんですよ。 何の苦労もしたことがない男でね、退屈をもてあましているらしい」
 自分がどんなに幸運か、わかっていないんだわ──ミレイユは、さっき見たルジュヌの頼りない笑顔を思い浮かべた。 そして想像してみた。 私が男で、何の不自由もない身だったら、どうやって生きたいだろう。
 真っ先に思い浮かんだのは、田舎の静かな城で、ワイン作りにいそしんでいる姿だった。 立派な馬を育てるのもいい。 それに犬。 ミレイユは前から、犬か猫を飼ってみたかった。 温かい毛皮を抱きしめて眠れたら、どんな夜も心細くないし、寂しくない。 そうだ、きっと犬と猫を飼おう!
「デピナルさん」
 隣から呼びかけられて、ミレイユは我に返った。
「はい」
「ぼうっとなさってましたね」
「あ、いえ…… ちょっと暑くて」
 なんて私って気が利かないんだろう。
 ミレイユは無意識に体を縮めた。






表紙 目次 前頁次頁
背景:Star Dust
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送