表紙

残り雪 66

逢いたいが


 賑やかな通りの真中でいきなり棒立ちになった遥は、あやうく後ろの通行人にぶつかられるところだった。
 会いたい、という言葉でとっさに浮き立った心は、一度だけでいいから、というところでガクンと落ち込んだ。
 なんだ、事情を説明して言い訳したいだけなんだ……。
 それなら社長からさんざん聞かされた。 笑さんが煙のように消えてしまい、手がかりはパスポートの無断使用しかなかったこと、でも使った女が本物の笑に似ていることから、警察に言っても取り合ってもらえなかったこと。
 確かに、犯罪だという証拠がなければ警察は動けない。 それに、消えたのが若い女性なので、うかつに私立探偵にも頼めなかったそうだ。 完全に信用できるかどうかわからないからだという。
──だいたい、なんで私を雇ったの?  笑さんのパスポートで日本に入り込んだインチキ女は、タレントになりたいなんて言うほどうぬぼれの強い美人らしいのに。 私は笑さんほど綺麗じゃないっての──
 遥は歩道の真中から横にずれて、うつむき加減にメールの最後に記してあるアドレスを見つめた。
 返信しようか、放っとこうか。
 今度は胃ばかりではなく、頭まで痛くなった。
 さすがやり手専務だ。 砂川俊治は本物の美雪に会って半日と経たないうちに、もう偽者の身元を突き止めてしまった。
 なんで偽名なんか名乗っていたのか、しどろもどろに説明する自分を思い浮かべると、冷や汗が出てきた。 究極に格好わるい。 恥ずかしいなんてもんじゃない。
 美雪に対する怒りが、また一瞬だけ再発した。


 家に帰るまで結論は出なかった。
 門灯を頼りに鍵を開けて、玄関に入ったとき考えた。 この家の近くで、俊治がしばらく自分の帰りを待っていたことを。
 自宅を知られていては、逃げ回っていても意味がない。 どこかで会って、きれいさっぱりこの奇妙な一週間のケリをつけたほうがいい。


 お風呂から出て、駅前で買ってきたベーグルサンドと蟹サラダをぼそぼそと食べた後、遥はファンヒーターの前にガウン姿で座り込み、電話を手に取った。
 指はなかなか進まなかった。 普段はめったにしない打ち間違いを何度も繰り返した後、ようやく文面がまとまった。
『砂川俊治様
 笑さんが無事でおめでとうございます。
 仕事の途中で出ていって申し訳ありませんでした。 明日東京に行って正式に辞めさせていただきます。 休日ですがご都合がよければ、時間と場所をお知らせください。
三嶋遥』



 五分と経たないうちに返事が届いた。
『三嶋遥様
 会ってもらえて感謝します。 当方の手落ちですからこちらから伺います。 お宅の近くで昼食を一緒にどうでしょうか。
砂川俊治』

 昼食か……。 デートみたいだな。
 最初で最後のデート。
 遥は胸が絞られるような気持ちになった。







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