表紙

残り雪 64

訪問者の話


「……いないよ。 なんで訊くの?」
「うん、ちょっとね」
 休日だから薄化粧だが、どうしてもこれだけは外せないらしく、くるんと巻きあがった付け睫毛を伏せて、美雪はぎこちなく言った。
「こっちも同じ。 恋人作る暇もなくて。 だって先週の今日は夜まで仕事してたんだよー」
「会社勤めはきびしいよね」
「まあ、自由業も締め切りなんかのときは楽じゃないって知ってるけど」
 珍しく美雪は思いやりを見せてから、話を続けた。
「会社の男は上司かライバルでしょ? 気が許せないんだわ。 学校の友達もみんな仕事持っちゃって、時間が合わないからなかなか逢えないし。 優しくしてくれて、一緒に旅行なんかに行ける、できれば金持ちのカレがほしいなーなんて」
 遥は反射的に顔をそむけて、窓のほうを見た。 胸がドクッと痛んだ。
 誰だって、そういうカレが欲しいさ。 でも現実には、金持ちほど自分勝手で、人を利用することばっかり考えてるんだ。
「優しい金持ちなんか、下心のかたまりだよ」
「そうかなぁ」
 癖になっているのか、美雪はまた睫毛を伏せて、パタパタッと瞬きした。
「昨日会った人は、けっこう格好よかったよ。 ぜんぜん金持ちぶらないで、名刺にも肩書きつけてなかったけど、さすがにいいコート着てた」
 遥は自分の苦い思いにひたっていて、美雪の言葉をほとんど聞いていなかった。
「先輩がその人のこと知ってて、若いけど大会社のやり手専務だよって教えてくれた。 でも不思議なんだな。 なぜ特別に、私に会いに来たんだろ」


 専務……美雪に会いに来た……
 話の切れ端が意識をかすめた。 遥はいきなり美雪に向き直って、まじまじと顔を見つめた。
「美雪に……?」
「そう。 加賀美雪さんて社員いますか?って受付で訊いたんだって」
 遥は目まいがした。 部屋が急にぼやけて見えたが、それでも口は勝手に動いた。
「若い専務さん? どんな人だった?」
 美雪は顎に指を当てて、記憶を探った。
「うん、背が高くて、シャープな感じ。 美形っていうとちょっと違うけど、でもいい顔してた」
「好み?」
 息を潜めて訊いてみた。 すると美雪は、少し考えてから首を振った。
「そう……じゃないな。 素敵だとは思うけど。 私はもっとソフトな感じの顔がよいなぁ。 ね、ブラッドリー・クーパーって知ってる? その人みたいな」
 外国人か。 じゃ、社長のほうが好みかも…… って、そんなこと考えてる場合じゃない!
 あきらかに砂川俊治と思われる人物が『加賀美雪』を探していた。
 その事実をどう考えたらいいのか、遥にはわからなかった。
「ねえ」
「ん?」
「専務さんがわざわざ来て、何の用だったの?」
 美雪の額に皺が寄った。
「よくわかんない。 プルーンの輸入がしたいんだとか言ってたけど、その後連絡ないし。 初め、引っかけだったんかな〜と思ったのよ。 でも、わざわざそんなことする理由がないでしょ?」
 出てきた加賀美雪が私じゃなかったんで、さしもの砂川俊治もパニクッてしまったのか。
 遥はちょっと笑いたくなったが、胃のあたりがシクシクし出して、笑顔になれなかった。
 彼は美雪の線をたどって、こっちまでたどり着くだろうか。 まさかとは思うが……。







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