表紙

残り雪 63

泊り込んで


 俊治は真夜中近くに、社長のマンションのエレベーターに乗った。
 自宅へ戻ろうかとも思ったのだが、疲れた上に意気消沈していて、一人ぼっちの部屋に帰るのが嫌だった。 結局、電車を乗り継いで訪ねていき、二時間以上寒い戸外で待っても、目当ての人は帰宅しなかったのだ。


 不景気な顔で玄関から入ると、気配を聞きつけた笑が、すぐ階段を駆け下りてきた。
「来たよ〜!」
「誰が」
 ぶすっと聞き返した直後に気づいた。 俊治は光速で顔を上げ、一気に段の下まで行った。
「彼女? ここへ来たの?」
「そう」
 そこで笑は、申し訳なさそうに表情を曇らせた。
「すぐ帰った。 怒ってた」
 しびれたようになって、俊治は手すりの角に掴まった。
「何があった!」
 笑の声がすぼまった。
「マイクがしゃべった。 全部……」
 マイクとは、社長のミドルネームだった。
 俊治はうまく口がきけなくなり、空気を求めてあえいだ。
 それから懸命に自分を取り戻すと、笑の横をすり抜けて階段を上がった。 笑は向きを変え、心配そうに後からついてきた。




 急に眩しくなったので、遥はうめいて目を開いた。
 すると、ベッド横の白いカーテンを紐で開いている美雪の姿が、逆光で見えてきた。 美雪は背中をそらして振り返り、陽気に言った。
「もう十一時だよ〜。 いいかげん起きなさい」
 えっ?
 慌てて飛び起き、布団を見ると、いかにも美雪好みのつやつやした絹の材質だった。
「ごめん。 今日は仕事行かないの?」
「もう! 何曜日かも忘れてんの? 土曜だって」
 あ、そうか……。
 昨夜は長年の話が弾み、もう一本ワインを出して、二人で一滴残らず飲み干した。 二日酔いとまではいかないが、睡眠薬代わりになったのは確からしい。
「美雪ん家、泊まっちゃったんだ」
「そうよ。 それ私のベッド」
 大して怒った様子はなく、美雪は軽く答えた。
「寝心地よかった」
「当然よ。 今度、遥の家に寄せてもらうからね」
「ああ、いつでも来て」
 遥はマジで応じた。
 こうやって昼間の日光を浴びていても、もう気詰まりはなかった。 幼なじみの絆は、あんがい強いのかもしれない。


 一階に降りて、小アジの南蛮漬とあさりの吸い物という素敵な和風ブランチを二人で食べていると、不意に美雪が訊いてきた。
「遥さぁ、彼氏いる?」
 瞬間的に手がしびれたようになって、遥は箸をテーブルに落としてしまった。







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