表紙

残り雪 62

後悔の後に


 結局、新入社員として走り使いなのはまあ当然として、注文を受けた商品の個数が間違っていた責任をなすりつけられたのが我慢できなかったらしい。
「私はちゃんと二度チェックしたのよ。 なのにダースとグロスを勘違いして損害を出したって言われた。 そんなことしない。 ちゃんと説明したのに」
 遥は考えた。 昔から美雪はきれい好きで、きちんと整えるのが趣味だった。 鉛筆、シャーペン、ボールペンはいつも同じメーカーのもので、なんと消しゴムからペンケースから定規まで、同じ色で統一していた時期もあった。 そして、宿題の提出し忘れがないのが、何よりの自慢だった。
 他の人間なら、伝票のうっかりミスはあり得る。 だがこの従姉妹に限っては考えにくい。
「してないよね。 私もそう思う」
 だから反射的に、そう答えた。


 たちまち、美雪の目がまん丸になった。
 今聞いた言葉が信じられないというように、少しの間まばたきもせずに遥を見つめ返した後、小声で尋ねた。
「だよね?」
「うん」
 本当にそう思えるのだから、しかたがない。
 すると、美雪は視線を足元に落とし、また少し間を置いた後、口の中で呟いた。
「そう言ってくれたの、遥が初めて。 親も信じてくれなかった」
 そして、遥が面食らっているうちに、パッと顔を上げてはっきりと言った。
「ごめん。 私、八つ当たりした」


 いつも突っかかってきた従姉妹が、堂々と謝った。
 あまりの意外さに、遥はその場でこけそうになった。
 だが実際にはよろめきもせず、気がつくと美雪に促されて家に上がっていた。
 美雪はいそいそと紅茶を入れ、ブランディー入りの角砂糖を添えて持ってきた。 それは遥の父親の好物で、遥も好きなものだった。
 それから、冷凍してあったという手作りのオックステイル・シチューとシャキシャキのレタス・サラダも出てきた。 手伝ってフランスパンをカリッと焼き、バターをつけながら、遥は今さらのように思い出した。
 そうだ、美雪は料理も上手だったんだ。


 ふたりは久しぶりに差し向かいで座り、ご馳走を口に運びながら話し合った。
 虚勢を張るのを止めた美雪は、素直だった。 貿易の仕事が自分に向いているのかどうか自信がなくなって、また舞台のオーディションを受けたのだという。 そして最後の三人までに残ったが、惜しくもその次の選考で落とされた。
 あと少しで代役には選ばれそうだったのに、と思うと残念でたまらず、映画の小道具係をしている知人とヤケ酒を飲んだ。 そのとき、撃ち合いのシーンなどに使う血糊と、押すと刃先が引っ込むナイフを使って、いたずらしてやろうという相談がまとまったという。
「私に演技力がないって、いつも言ってたでしょう? だから、やればできるってとこ、見せつけてやろうと思ったの」
 遥は鼻で強く息を吐いた。
「あれは、違う意味だって。 才能があるかないかじゃなくて、美雪は几帳面すぎるから、舞台で大きくはっちゃけるのは無理なんじゃないかと思ったの。 テレビとかの自然な演技のほうが向いてるって。
 でも認める。 舞台でもできるよ。 地下室の演技、すごい真に迫ってたもの。 怖かったよ」
「それは遥が怖がりだから」
 そう言って、美雪は困った風でチロッと舌を出した。
「悪い。 でもほんとにそうだから。
 遥が逃げちゃった後、後味悪くて、すぐ電話しようと思ったんだ。 だけど、携帯は忘れてくし、家の電話は留守電になってて、入れたら私のバカが録音されると思うと、しゃべれなくて……」
 ふたりは目を見合わせた。
 それから遥が小さく咳払いして、ぎこちなく言った。
「わかった。 もう喧嘩するのよそう」








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