表紙

残り雪 58

困った作戦


 勢いよく立ち上がりすぎて、膝がテーブルにぶつかり、体が後ろに押し戻された。
 よろけて座りこんだとき、天井が見えた。 白く無機質な天井板に間接照明の光が当たって、斜めの影が交錯していた。
 とたんに思い出した。 夜の寝室にうごめいた、この世のものとは思えない女の影を。
 しかし、加賀美雪は生きてピンピンしていた。 そんな彼女が、幽霊になって現われるわけがない。
 遥が上をじっと眺めて、それから自分の顔に視線を戻すのを、峰高はもぞもぞしながら見守った。 その顔は明らかに、ひどくやましげだった。
 一呼吸置いてから、遥は冷たい声で訊いた。
「あの、天井と廊下に出てきたゴーストみたいなのは……」
「ごめんなさい!」
 遥が言い切る前に、社長は再び頭を下げようとして、呻いて額を押さえた。
「すみません、まだ頭を動かすと痛くて」
「あの専務さん、砂川俊治さんがやったんですね?」
 もはや声は凍りついていた。
 私って、なんて騙されやすいんだろう。 まず美雪にハメられ、逃げ込んだつもりだったこのマンションで偽幽霊に脅かされた。
 あんまり腹が立って、気持ち悪くなりそうだった。
 峰高は激しくまばたきした。 途方にくれている様子だった。
「僕ら迷ってたんです。 あなたを連れてきたけど、間違ったんじゃないかと思い始めて。 だって、あなたがあんまりいい人なんで」
「おせじはいいです」
「いや、ほんとです!」
 峰高は懸命になっていた。
「自信がなくなって、仕掛けで試してみようってことになって。 笑に何かしたんなら、気がとがめて反応するだろうって」
「怖かったですよ、ものすごく!」
 実は子供のころからビビリなのだ。 特に暗いところは恐怖だった。
 やみくもに立ち上がって逃げ出そうとすると、峰高も立った。 唇をふるわせながら、遥は捨て台詞を言った。
「もういいです。 忘れてください。 ただ、私のこと笑い話にはしないでくださいね」
 とたんに社長の顔が引きつった。
「するわけないでしょう! 誤解したのはあやまりますが、そんなひどい人間じゃないですよ!
 僕らボロボロだったんです。 笑はたぶん生きてないと思った。 テレビの刑事ドラマなんて絶対見れなかった。 あんなふうに殺されて埋められてたらと思うと」
 遥の足が止まった。 そう言えば、アメリカのドラマは陰惨な殺人事件の描写がいっぱい出てくる。
「せめて遺体だけでも発見したかった。 生きて戻ってくるなんて、今でも奇跡としか思えないんです」
 そこまで愛して、ずっと探しつづけてくれたお兄さんがいるなんて幸せだ。 遥はつくづくそう思った。
「あなたはとても僕に親切だった。 心から感謝してます。 お礼とお詫びは改めてご自宅のほうに送らせていただきます。 できることがあったら、何でも言ってください。 お願いします」
 もう何も言う気力がなくなって、遥は小さく礼をしてから部屋を出た。


 エレベーターの中で考えた。
 外国の企業だったら、影の用心棒が出てきて、荒っぽい手段で白状させようとしたかもしれない。
 たとえば、椅子に縛って顔を殴って「吐け!」とか。
 吐くものなんか何もないから、そのまま殺されてしまったかも……。
 ああ、考えが悪いほうにばかり行く。
 こんな目に遭ったのも、元はといえばあの美雪のせいだ。
 そうだ、あいつがすべての原因だ!
 怒りがフツフツと湧き上がってきた。 遥は美雪にすべての借りを払わせるべく、荒い息を吐きながらエレベーターを降りると、ちょうど目の前の通りを空車で巡回してきた黒いタクシーを拾って、ガッと乗り込んだ。







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