表紙

残り雪 51

懐かしの家


 午後の一時になった。
 遥はまた電車に乗って、家に引き返す途中だった。
 衝撃の電話から半時間以上経ったのに、まだ頭がぼうっとして、切れ切れにしか考えられない。 それでも、地下室での惨劇が全て芝居で、遥をどっぷりハメるために仕立てられたのだということは、だんだん納得できるようになっていた。
 家に戻って落ち着いたら、怒りがドッと湧き上がってきそうだ。 だが今のところ、脱力に近い安心感のほうが先立っていた。
 もう自由なんだ。
 人目がなければ、思い切りのびのびと大声で叫びたいほどだった。


 二時間ぐらいしか外出していなかったにもかかわらず、自宅が見えてきたとき、遥は懐かしくて泣き出しそうになった。
 もうほんとに、嫌になるほど涙もろい。 父と二人肩を寄せ合って暮らし、分身のようだったその父を失った。 一人住まいを始めてから、ずっと肩を怒らせて生きてきたんだな、と、改めて思い知らされた。
 本当は心細かったのだ。 父は芸術家で、絵に取りかかると周りが見えなくなった。 だから打ち合わせや手続きは遥が代行して、父を助けているつもりになっていたが、実際はまだまだ父に頼っていた。 相談相手として、よき助言者として。
 まだ六十二だったのに。 平均寿命まで後十五年ぐらいもあるのに。 遥は、突然父を連れ去った病を憎み、兆候に気づかなかった自分を責めた。
 父がいてくれたら、美雪の悪質ないたずらに引っかかることはなかったはずだ。 だって、いつもなら美雪の呼び出しなんて無視するから。 あの日は特に寂しくて、生前の父の姿を知っている親戚と無性に話がしたかった。 だからうっかり、東京なんかまで出かけてしまったのだ。


 家に入ったとたん、猛烈におなかがすいてきた。 フリーザーからピザを引っ張り出してきて、すぐチンして食べた。
 食後のコーヒーだけは落ち着いて飲もうと決め、新型のパーコレーターでポコポコやっているうち、砂川家に起こった事件のことを思い出した。
 テレビで何か言ってないだろうか。
 リモコンを押して五分ほどすると定時のニュースが始まり、中ごろで空港が映った。 そして、俊治に肩を抱かれて急ぎ足でロビーを通り抜ける女性の姿に、男声のナレーションが被った。
「── 笑さんは事故の後、助けを呼びに行ったベレンズタウンで、傷の手当てをしてやると親切そうな中年女性に声をかけられ、ついていったところ、農場に軟禁されたということです。
 女はメアリ・ダーモット47歳。 一人娘を交通事故で失ってから情緒不安定ぎみで、笑さんを自分の子と思い込んでいたという情報もあります。
 笑さんに怪我はなく、部屋に閉じ込められていただけで危害はまったく加えられていないということで……」
 コーヒーができたので、遥は上の空でカップにつぎ、目はテレビに釘付けにしていた。
 画面に出た写真の中で楽しげに微笑む笑は、ほっそりとした美人だった。 高い鼻とくっきりした眼が、兄の峰高に似ている。 全体的に兄より外国人ぽくて、アメリカで車を運転していても普通に地元民と思われただろうなという感じだった。







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