表紙

残り雪 45

開き直って


 遥〔はるか〕の知らない顔だった。 それなのに、相手は妙になれなれしく、勝手に話しかけてきた。
「三嶋〔みしま〕さんでしょ? 写真よりずっとキレイだね」
 遥は身構えた。 ただでさえ神経過敏になっている上に、目の前の男はどう見ても嫌いなタイプだった。
「あの、ちょっと出かけるところなんで」
 男は軽く右肩をいからせて、笑顔を大きくした。
「へえ、どっかへ逃げるのかな?」


 たちまち遥の脳内で、けたたましい警戒警報が鳴り響いた。
 こいつは、知ってる!
 それでも、自己防衛の本能が、自動的に反応した。
「なにおかしなこと言ってるの? 道あけてください」
 男はびくとも動かなかった。
「話が先」
 ふざけるな!
 もう自首すると決めていたから、遥に怖いものはなかった。 とっさにバッグから携帯を取り出すと、男をまっすぐ見て強く言い返した。
「じゃ、警察にかけるわよ。 変な人が通れないようにしてるって」
 いきなり男は手を伸ばしてきて、遥の電話を引ったくろうとした。 遥はとっさに自転車を男にぶつけ、飛びすさって番号ボタンを押し始めた。
 細身の若い男は、自転車を苦労して押し離しながら、早口で言った。
「テンパるんじゃないよ! ちょっとだけでいいんだからさー」
 遥は目を丸くして男を見つめた。
「え?」
 ようやく立ち直った後、ズボンを神経質そうに叩いて自転車のタイヤから移った土埃を落とすと、男は篭もった声で続けた。
「二百万で黙っててやるよ」


 恐喝か……。
 一を二度押したところで、遥は指を止めていた。 その指をずらして、そっと他のボタンを押しながら、もう一度尋ねた。
「なに? なんで私が知らない人に、そんな大金払うの?」
 男はもう笑っていなかった。 彼にとって予想外の展開だったらしい。 わりと大きな住宅がゆったりと立ち並ぶ付近を左右に見回してから、遥にぎりぎり届くぐらい声を落として囁いた。
「美雪のことだよ。 あんたの従姉妹〔いとこ〕の」
 思ったとおりだった。 頭がじんじんしてきたが、遥はもうやけになっていて、後に引かなかった。
「それが何か?」
 男も虚勢を張って、狭い胸をそらして睨んできた。
「あんた、美雪を刺したよな、地下室で?」
 ああ、やっぱり……。 泣きたくなって、遥は必死に足を踏ん張った。
 遥が言い返してこないので、男は強気を取り戻した。 余裕の笑みが顔に戻った。
「黙っててやるよ。 だから口止め料二百万」


 むかつく。
 遥の眼が、にわかに光った。
「そんなの払う気ないから。 二百円だって出さないからね!」








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