表紙

残り雪 36

闇に襲う影


 ドアノブを回すのが、こんなに恐ろしかったことはない。 金属が氷の塊のように感じられて、指がかじかんだ。
 そのとき、打開策が突然ひらめいた。 そうだ、社長と二人っきりじゃなかった。 下の小部屋でモニターを見ているガードマンがいるじゃないか!
 たしか三交代制で、一日中見張っているという話だった。 もし侵入者がいるとしても、あそこまで見つからずにこっそり行けたら、助けてもらえる。 たとえ行き着けなくても、思い切り大声で叫べば、たぶん届く……!


 美雪はごくゆっくりとノブを回して、ドアに隙間を作った。
 それから、音をさせないように注意しつつ、できるだけの速さでグンと押し開けた。
 何もぶつからなかった。 忍び足で階段を上ってきた悪者が出口で待ち構えているという、いちばん怖い状況ではない。
 美雪は這い出るように身を低くして、階段横の落下防止フェンスににじり寄った。
 玄関ホールには常夜灯として、間接光のライトが左右の壁に一つずつついている。 淡く薄暗い灯りは、広い空間をぼんやりとした黄金色に変えていた。
 美雪は念入りに、部屋の隅々まで見渡した。 怪しい物影は何ひとつ存在していなかった。


 美雪はのろのろと立ち上がり、フェンス上部に手を置いて、しっかり掴んだ。
 あの嫌な音は何だったんだろう。 ホールはいつも通り整然としていて、物が落ちたか倒れた形跡は全然ない。
 寝ぼけて、夢の音を現実と勘違いしたのかな。
 神経質になっているのは自分でもわかっていた。 美雪は肩の力を抜き、階段を素早く下りて、玄関ドアを調べてみた。
 鍵はがっちりかかっていた。  レバーをいくら押したって、ビクともしなかった。
 やっぱり気のせいだ。
 自分の部屋へ戻ろうとして、美雪は体の向きを変えた。
 その目の端を、白いものがかすめた。
 美雪はサッと顔を振り向けた。 壁と鳥の絵が目に飛び込んでくる。 ただそれだけが。
 しっかりして、遥〔はるか〕!
 自分を心の中で叱り付けてから、美雪は大股で歩き出し、階段を上った。
 自室のドアはいつもと同じように、音もなくなめらかに開いた。 早くベッドにもぐりこみたい。 あくびがこみあげてきた。
 部屋に一歩踏み込んだとき、今度は視野の左端が白く光った。 そして、暗い廊下の奥に影が揺れた。 セミロングの髪を振り乱して、こちらへ迫ってくる女の影が。
 その瞬間、美雪は何もわからなくなった。




 最初に感じたのは、温かさだった。
 ついで、背中に回り、上半身の体重を支えているしっかりとした腕に気づいた。
 瞼がやたら重く、上下が糊付けされたように開かない。 美雪は苦労して口を開けて、かすかに囁いた。
「お父さん……?」
 腕はそのまま美雪を抱き寄せ、耳元で尋ねた。 熱い息が頬をかすめた。
「どうしてこんなところに? 体が冷え切ってるよ」














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