表紙

残り雪 33

なぜ壊れた


 結局、電話を使うことなく、美雪は寝てしまった。 夜中にまた悪夢を見るかと思ったが、朝まで溺れるように寝込んだ。 たぶん、二杯は飲んだ酒のおかげだろう。


 翌朝、美雪はなんとか七時には起きて、いつ峰高に呼ばれてもいいようにしていた。
 しかし、八時過ぎても呼び出しはなかった。 逆に心配になって、彼の部屋に出向くと、寝室ですやすやと眠っていた。
 気分が悪そうな様子ではなかった。 羽毛の掛け布団の端を抱えて、かすかな寝息を立てている。 洗いっぱなしで額にもつれかかった髪が、顔を少年のように見せていた。
 昨日はリビングに行って遊んだりしたから、きっと疲れたんだ、と美雪は気づいた。 しばらく寝かせてあげよう。 薬の服用が少し遅れても、命にかかわることはないだろう。 一回ぐらいなら。


 峰高は午後二時過ぎまで起きてこなかった。
 美雪は雇い主の様子を一時間おきに見に行き、無事を確かめた。 その合間にクロワッサンとコーヒーで簡単な朝食を取り、後の時間は絵を描いて過ごした。
 契約先のタウン誌編集長の似顔絵を書き、いたずらで髭を加えたところで、自分でも驚くほど懐かしくなった。 もう二度と、彼の仕事を請け負うことはないだろう。 せっかちで汗かきな綿引編集長の円い輪郭が、不意に涙でかすんだ。
 ああ、四日前に戻れたら。 平凡で忙しかった普通の日々に。


 午後二時を回ったところで、玄関のチャイムが鳴った。 美雪は素早く降りていき、階段の横にあるインターホン画像で確認した。
 訪れてきたのは、電器店の修理係だった。 三十代半ばくらいのその男性をリビングに案内していると、階段の上から声がかかった。
「お客?」
 ようやく起きてきた峰高だった。 パジャマにしている紺色のジャージの上から黒のジャケットを羽織っていて、眩しそうに美雪と修理係を交互に眺めた。
「テレビを直しに来てもらったんです。 つかないんで」
「えっ?」
 峰高は、信じられない表情を浮かべた。
「そんなはずないよ。 まだ新しいし、ついこの間」
 そこで唐突に言葉が途切れた。 視線が美雪から離れて、何もない壁に飛んだ。
「ああ、そうか……」
「何か心当たりあります?」
 修理人が訊いた。 峰高は彼と目を合わさずに首を横に振り、自分の部屋へ引き返していった。


 ねじを外して点検するとすぐ、修理人は故障個所を見つけた。
「ここ、ショートしてる。 たぶん何かこぼしたんじゃないですかね。 飲み物とか」
「じゃ、簡単には直らないですか?」
「ちょっとね。 新しいのに換えたほうがお得だと思いますよ」
 確かに回路には焼けた跡があった。 修理人の説明にうなずきながらも、美雪は納得がいかなかった。
 昔の分厚いテレビならともかく、壁にすっきり納まっている薄型テレビでは、上に物を置くことはできない。 うっかりコーヒーカップを倒してしまったということには、なり得ないのだ。












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