表紙

残り雪 30

微妙な空気


 目を閉じたままで、峰高は言った。
「コーヒー飲みなよ。 僕はいいから」
 ちゃんとさっきの言葉を聞いていたのだ。 ささいなことだが、美雪は嬉しくなった。
「じゃ、レモンティーを」
 不意に峰高が目を開けた。
「そうだ、紅茶の梅酒割りなら飲みたい」


 美雪が注文している間に、峰高はどっしりしたガラス・テーブルの下からゲーム盤を取り出した。
 カップを二つ持っていくと、彼はそのボードを見せて、口元を緩めた。
「東京観光の双六〔すごろく〕。 俊治が見つけて買ってきたんだ。 普通のゲームだと頭や目が疲れるけど、これならのんびり暇つぶしできるって言って」
 いつもは男二人でサイコロを転がしているのだろうか。 なんとなくユーモラスな気がして、美雪も微笑んだ。
「やります? 私、ゲームでは運が強いですよ」
 本当にそうだった。 トランプのポーカーで、めったに出ないロイヤル・ストレート・フラッシュを取ったことがあるぐらいだ。
 ただし、ゲーム以外ではめっさ悪運続きだけど、と思うと気が滅入った。 それでも空元気を出して、美雪は峰高の向かい側に陣取り、じゃんけんで順番を決めた。


 俊治が五時半に帰ってきたとき、掃除はすでに終わっていたが、リビングの二人はまだゲームをやっていた。
 かわいい笑い声に気づいて、俊治がリビングのドアを開けると、ソファーに向かい合って、額が触れ合うほど前屈みになった峰高と美雪が、一斉に顔を上げた。
「おう」
 峰高が明るい声をかけ、美雪も挨拶した。
「おかえりなさい」
 ビジネスバッグを持ったまま、俊治は部屋の中に入り込んで、テーブルの上の物を見た。
「双六してるの?」
「二時からちょっとやってて、掃除がすんでから昼寝して、五時から再開したところ」
「顔色いいよ」
 俊治がそう言うと、峰高は彼と視線を合わせた。
 そのまま三秒ほど、二人は見つめ合っていた。 先に目をそらしたのは峰高のほうで、次の言葉にはややぎこちなさが感じられた。
「今日は頭痛がしないんだ」
「よかったじゃない」
 俊治はサラッと言い、コートを脱いで傍の椅子にポンと投げた。
「おれも一回だけ混ぜてもらおうかな」
 そして、美雪の横にさっそうと座った。


 参加者が三人になると、単純なゲームでも盛り上がった。 一回限りと言っていた俊治は、三回戦までリビングに留まって、二回勝った。
 後の一回は峰高が上がりで、美雪はそれまで独走状態だったのに、全然勝てなくなった。
「あぁあ、とうとうツキの神様がいなくなった」
 美雪は笑いながら、サイコロを盤に載せた。 すると俊治が思い出したように、バッグから大きめの包みを出して、美雪に差し出した。
「そうだ、これ、頼まれた物」
 美雪は喜び、体を起こした。
「ありがとうございます」
 受け取るとき、指先が触れ合った。 俊治の手は乾いていて、熱いぐらい温かかった。













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