表紙

残り雪 29

仲間意識で


 階段を下りていくとき、峰高はクリーンワークの男性が床掃除を始めているのを見て、嬉しそうに声を立てた。
「あ、今日はムッちゃんの番?」
 ムッちゃんと呼ばれた男性も、とたんにニコニコして洗浄ブラシの手を止めた。
「よう、だいぶ顔色いいじゃないの」
「うん、まあまあ」
「無理しちゃだめだよ」
 そう言って、ムッちゃんは峰高の後ろにいる美雪に目をやった。
「付き添いさん換えて、張り切ってんの?」
「いや」
 峰高は困ったように声を落とした。
「そういうんじゃないから」
「おとうさん、やめなって」
 別の作業ブラシを組み立てていた女性が、小声で注意した。 ムッちゃんはむきになって言い返した。
「いやオレはそんな意味で言ったんじゃないよ」
 峰高がすぐ説明した。
「この人は臨時。 山河さんが過労で、休み取ってる間だけ」
「あ、そうなの?」
 ムッちゃんはきょとんとした。
「過労? あの象が踏んでも壊れないって感じの人が?」
 峰高は、ちょうど階段を降りきったところで、笑い出した。


 社長が笑い声を立てるのを聞いたのは、美雪にとって初めてだった。
 声どころか、明るい笑顔を見たのも最初かもしれない。 笑うと彼はますます若がえって、二十代前半の雰囲気をただよわせた。
 掃除にきた二人組は、どちらも四十代後半ぐらいに見える。 親子ほど年の違う人たちだが、ムッちゃんのほうは、峰高と何の遠慮もなく話し合っていた。
「もうちょっと元気になって寒さがゆるんだら、飲みに行こう。 トシも呼んで、みんなでパーッと騒いでさ」
「いいよなぁ」
 驚くほど憧れの篭もった声で、峰高は答えた。
「ほんと、それやりたい。 早く何もかもすっきりしたいよ」


 玄関フロアが済んだら二階をやってもらう約束をして、峰高はリビングに入った。
「コーヒーか何か飲みます?」
 美雪がそっと訊くと、峰高は両手でバシバシッと頬を叩いてから、ぽつりと言った。
「昔、一緒に働いてたんだ」
 美雪は目をしばたたいた。 どうやらドアの外でウィーンという音を立てている二人のことらしい。
「清掃業で?」
「そう」
 ゆっくりソファーに腰掛けると、峰高は背もたれに寄りかかって、辛そうに目を閉じた。
「高校のとき、親と喧嘩して飛び出して、ムッちゃんとコンビ組んで。
 あのときは体力あったなぁ。 今じゃとても無理だ」
 きっと直りますよ、と慰めたかったが、怪我の診断結果をよく知っているわけではないので、いいかげんなことは言えなかった。
「いろんなこと教えてもらった。 掃除のやり方だけじゃなく、礼儀作法とか人の見分け方、酒の目利きとかも」
 私にとっての父みたいなものだろうか。
 高級マンションに住んで優雅な暮らしをしているわりに、峰高には奢〔おご〕りが感じられない。 その理由の一端がわかった気がした。
 彼はちやほや甘やかされて育ったわけではないらしい。 しかも、実社会の厳しさを知っている。













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