表紙

残り雪 27

親はいない


 美雪の顔を見るなり、挨拶抜きで俊治は尋ねた。
「君、携帯持ってる?」
 美雪はたじたじとなった。
「いいえ……」
 財布だけで携帯も持たずに、街で何してたんだと言われそうだ。 美雪はぎこちなく弁解した。
「近所で買い物しに、ちょっと出ただけだったから」
 俊治は追及しなかった。 ただうなずいただけで、コートのポケットから何かを掴み出して、美雪に渡した。
「昨日渡し忘れたんだ。 ここにいる間は、これ使って」


 それは、ごく普通の携帯電話だった。 相手が女性だと意識したからか、かわいらしいピンク色をしていた。
「あの……はい、どうも」
 俊治は鞄の中から、取り扱い説明書の束も出した。
「これが使い方だって。 わかると思うけど」
「はい」
 わざわざ新品を買ってくれたらしい。 美雪がぎこちなく立っていると、俊治は低く咳払いした。
「ペンと画用紙は今日買ってくる。 それと、メイクのこと、気の毒しちゃったね。 いつも何使ってるのか書いてくれたら、それも当然買ってくるから」
 社長が話したんだ。
 気まり悪くなってチラッと見ると、俊治はまばたきして視線を逸らした。
 彼も照れてる。 そう気づいたとたん、なんだか胸が温かくなった。 彼ら二人はどちらも穏やかで、がさつなところのない人たちだった。


 美雪の化粧は、普段から簡単だった。 下地を兼ねたファンデをさっと塗って口紅をつけ、チークカラーを少し重ねるだけだ。 睫毛は長いほうだし、目の縁がかぶれやすいので、付け睫毛やマスカラは使わなかった。
 後は冬だからモイスチャークリームを頼んだ。 基礎化粧品は洗面室のキャビネットに入っているもので充分だった。
 こういう品は自分じゃ買わないんだろうな。 秘書か事務の女の人に頼むんだろうか。
 そう考えながら、美雪がメモを渡すと、俊治はじっくり目を通して確認した。
「すいません、なんか……自分で買えるといいんですけど」
「いや」
 俊治は顔を上げて、まっすぐ美雪の視線を捕らえた。
「君がここにいるってだけで、社長はずいぶん落ち着いた。 君が見つかってよかったと思ってる。 どこにも行かずに、いつでも傍にいてほしいんだ」


 誰かの役に立つのは、いいものだ。
 父親が死んだ後、美雪を本当に必要とする人間は誰もいなくなった。 父と離婚した母は、新しい家庭で幸せにやっている。 正月と誕生日には電話をくれるし、プレゼントも贈ってくれるけど、新しい夫の転勤についていってアメリカにいるから、もう三年会っていない。
 今どれほど大変なことになってるか、相談できたらな、と、美雪は思った。 でも、電話やメールで打ち明けられる内容ではなかった。
 どんなに心細かっただろう。 もしこのマンションに連れてこられなかったとしたら。
 あまりよくないことだが、美雪は社長の自動車事故に感謝したい気持ちになっていた。













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