表紙

残り雪 24

寝坊した朝


 美雪は石になった。
 これは夢だ、と理性がささやく。 夢の中に、本物の『美雪』が悪霊となって揺れているんだ。
 彼女ならそうなるはずだ、と美雪は観念した。 あきらめて素直にあの世へ行くような生やさしい人間じゃない。
 白い影ははっきりした形を取らないが、髪の毛が揺れて頬にまとわりつき、いかにも女の顔になってきた。 美雪は血が泡立つ思いで、必死に身をよじって掛け布団の下にもぐった。 幼児のような反応だが、何としても天井にうごめく影が目に入らないようにしたかった。
 布団をかぶって体をエビのように曲げていると、光る影はちらつかなくなった。 美雪は呻きそうになるのを懸命にこらえながら、ただひたすら時が過ぎ去るのを待った。
 日が昇れば、光が差し込んで天井を照らす。 白い影は見えなくなる。 すべて消える……




 遠くから、篭もった音楽が聞こえた。 誰かがラジオかオルゴールをつけているような。
 聞き覚えのある音だと気づいたのは、意識がだんだんはっきりしてきた数秒後だった。
 あれは確か、『夢の中で』だ。
 呼び出しメロディーだ!
 とたんに眠気が覚めて、美雪は飛び起きた。 ベッドから転がり落ちそうになって、あわてて天井を見上げた。
 そこには何もなかった。 ただの白く塗られた面があるだけ。


 取るものも取りあえず、美雪は風呂場続きの化粧室に飛び込んで顔を洗い、歯を磨いた。 朝シャンしている時間はない。 猛スピードで着替えしながら時計を見ると、すでに八時を回っていた。
 あんな怖い思いをしたのに、しっかり二度寝していた──そんな自分が信じられなかった。
 いや、考えてみれば全てが夢の中だったのだから、二度寝とはいえないかもしれない。 むしろ、悪夢から無意識状態に横すべりして、一度も目覚めなかったというべきなのかも。
 美雪は身震いした。 着替えの寒さだけではなく、背筋が凍える恐怖がよみがえってきた。


 鏡で見ると、顔色が悪かった。 おまけに目の下にどっしりクマが居座っている。 新品のリップクリームはあったがコスメはないので、美雪はその薄付きリップだけ使って唇を淡いピンクに色づけ、髪にブラシをかけて部屋を出た。
 社長の部屋をノックすると、中からスリッパのパタパタという音が近づいてきて、ドアが開いた。
 顔を合わせたとたん、相手が声を出すより早く、美雪は頭を下げて詫びた。
「すみません! 寝坊しました」
 顔を上げると、峰高は奇妙な表情をして、美雪を見ていた。
 怒っているのとは違う。 待たされていらついているのでもない。 かすかに眉を寄せたその表情は、まるで美雪を絵か標本のように、しげしげと観察している風に見えた。













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