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残り雪 5
同じ名前で
車はなめらかに表通りへ出て、広い道をまっすぐ進んでいった。
相変わらず美雪には、どこを通っているのかさっぱりわからなかった。 生まれたときからずっと茨城県の取手市〔とりでし〕に住んでいるので、他県のことには詳しくない。 まして、あの女の住んでいる東京は大嫌いで、めったに来たことがないため、ますます地理にうとくなっていた。
二人とも黙ったまま三分ぐらい走ったところで、車は左折した。 男は道をよく知っているらしく、立派なナビがついているのにまったく見ない。 彼は運もよくて、ほとんど赤信号で止められないまま、状態のいい車道をひた走った。
もう二回曲がったところで、遂に信号につかまった。 男は腕を伸ばしてシートの背に頭をもたせかけ、久しぶりに口を開いた。
「悪かったね。 考え事してて、話もしないで」
いいえ、と、美雪は口の中で呟いた。 信号はまだ赤い。 交通量の多い四つ角だからか。
「先入観なしで仕事を始めてもらおうかと思ったけど、やはり前もって気持ちの準備が必要かもしれない。
だから、おおまかな事情を話しておくね」
そこで、チカチカしていた横の信号が赤に変わり、目の前は青になった。 男はすっと車を出したが、バンプがあったのか、初めて大きく揺れた。
「あうっ」
シートベルトをしていても体が軽く放りあげられた。 ドアのハンドルに腕が当たり、美雪は思わず顔をしかめた。
「おっと。 あそこは工事してからボコボコになったんだ。 大丈夫?」
「はい」
今度は大きめの声が出せた。 男は安心したようだった。
「それでさっきの続きだけど、社長は三週間前に交通事故に遭ったんだ」
社長?
美雪は反射的に運転している男の横顔に目をやった。
「あの、社長さんって……?」
「君の雇い主」
男は前を見たまま、抑揚のない声で答えた。
「さっきの契約書に名前が書いてあった人。 砂川峰高」
美雪は戸惑った。 たしかカフェの女主人は、この人のことを砂川さんと言ってなかった?
「貴方も、砂川さんですよね?」
「そう。 僕は社長の従弟〔いとこ〕で、砂川俊治〔さがわ としはる〕」
美雪は目をしばたたいた。 社長は交通事故で負傷して、従弟が代理でハウスキーパーを雇ったのだろうか。
「社長さんは、もう退院を?」
とたんに従弟の砂川俊治は口が重くなった。
「ああ……まあ」
また数ブロック沈黙が続いた。 そこで車は右に曲がり、緩いカーブの道に入った。
急に緑が増えた気がする。 道の両側には立派な並木が連なっていて、その奥にも高い網の向こうに、小さな森ほどの量の様々な樹木が生えていた。
枝が道の半ばを覆って、フロントガラスに日光がレースのような模様を作った。 きれいな所だ、と美雪が思っていると、車は吸い寄せられるように左へ移動して、とあるマンションの駐車場に降りていった。
地下の駐車場からエレベーターに乗り、最上階の八階まで一気に上がった。 扉が開き、広い通路に出たとき、美雪が一番驚いたのは、天窓から光が降りそそいでいたことだった。
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