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夏は謎
-122- 船を喜ぶ
こうなってもますます張り切っていたのは、好奇心一杯な年頃の丈矢だけだった。
少年は、翼と共に壕の中へ入れてくれと頼み、許されると大喜びで段をすべるように降りていった。
「ホゲー、すげ、すげ〜! 見て。 ちゃんと木で部屋作ってるよ〜。 ログハウスみたい」
上で、佐喜子夫人がちょっと自慢げに言った。
「うちは戦前、材木屋もしてたんで、端材で囲ったのよ。 土が落ちてこないように」
「おーい、奥まで行っちゃだめだよ。 もう材木が古いから、崩れるかもしれない」
滋が中の二人に注意を呼びかけた。
二十坪以上ありそうな防空壕内に、船の他にはほとんど何も残されていなかった。 隅に、色の変わった手ぬぐいが一枚。 ガンメタ色をした古い水筒が一つ。 それだけだった。
結局、和一郎は『船』をもらう権利を放棄した。
引取りを拒否した、といってもいいかもしれない。 代わりに、丈矢少年が両親の承諾を取って、嬉々として名乗り出た。
佐喜子は、少年が夫の血縁だということを、内心では認めていたが、船の持ち出しには反対した。
その代わり、壕を工務店に修理してもらって、船を見に来てもいいことにした。 どうせ禁止しても、忍び込まれるだけだろうから。
翼と敏美の結婚は、両家の全面的な賛成のもと、秋の終わりに行なわれることが決まった。
遺産のこともあり、生活に困らなくなった敏美だが、お得意さんに引き止められたし、なじんだペット達と別れがたいこともあって、結婚後もパートの形で週に五日、午前中だけ勤務することになった。
「由宗もこれでしばらく安心だわ」
戻ってきた柴犬が、嬉しそうに庭を点検して回るのを窓から眺めて、佐喜子は何度もうなずいて満足そうだった。
散歩の後、いつものお茶会に参加していた敏美も体を伸ばして、ひょこひょこ横に移動する薄茶色の背中を目で追った。
「秋からは朝御飯をあげることになりますけど」
「じゃ、こっちも午前のお茶にしましょう」
佐喜子は張り切っていた。 話し相手の敏美を失わないですむのが安心なようだ。
「そうそう、デイケアのセンターを替えたのよ。 もう和一郎に私生活を探られるのはたくさん」
「そうですね」
「それと、あなたたちのお式には、何としても行きたいの」
「うれしいです」
敏美は心から言った。
「車椅子用の送迎タクシーを頼めますから」
「知ってる。 伊都子さんもタクシーで来てくれるかしら?」
敏美はドキッとした。 実は伊都子の話でそういう手段があることを知ったのだ。
「ええ、たぶん」
「懐かしいわねぇ。 本当に久しぶりだわ」
そう呟いて、佐喜子はゆっくりと車椅子の背もたれに寄りかかった。
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