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夏は謎  -113- 裏切り者






 翼は一瞬、頭がクラッとなった。
 意識の半分はとっ散らかったが、残りの半分が狼狽で逆に鋭くなり、記憶の断片がよみがえってきた。
「あなたは……確か谷中家元の踊りの会にいましたよね?」
「今ごろ思い出したの」
 千枝子は乱暴に顎をしゃくり上げた。
「いちおう家元も私の兄弟だからね、仲良くしとかないと。
 なーんて、嘘よ! あいつも大っ嫌い! 狙いは何か探るために、娘を弟子に入れただけよ。
 そしたらボロボロ出るわ出るわ、あんたね〜、あんな男信用して仲良くするなんて、どこまでお人よしなの!
 あのね、泥棒始めたのは、あいつの方なのよ。 あんた知ってるの? 食料庫の裏に空調つきの美術品入れがあるのを?
 あいつはまんまと探り出してさ、そこからちょっとずつ盗んでたわけよ。 案外気の小さいヤツだからさ、最初はほんの少し、ばれない程度にね。
 それがだんだん大胆になって、額に入ってた絵まで持ち出して、どっかの金持ちに高値でレンタルしたわけ。 その絵が日本画で、あんたのカノジョそっくりの娘が描いてあったってわけ!」


 翼の口が、無意識にポカンと開いた。
 彼の驚きようを見て、小枝子は気持ちよさそうに脚を組み直し、傍の煙草入れから一本取って火をつけた。
 翼は水に落ちた犬のように頭を振り、なんとか考えをまとめようとした。
「でも、和一ちゃんはその絵を稽古場に飾りたいから貸してくれって……」
「そりゃそうだわ。 あんた達が目にしたら、すぐ見破られる」
 クスクス笑いながら、小枝子は説明した。
「あいつ、元の絵をカラーコピーして、額に入れといたのよ。 佐喜子さんはもう年で、相当な老眼でしょう? コピーを戻しとけば、本物のレンタル期間が終わるまでバレないだろうと思ったんじゃない? バッカだよねー」
「どうしてあなたがそんなこと知ってるんですかっ!」
 唾を飛ばさんばかりに翼が詰め寄ると、小枝子はカラカラと笑った。
「あいつのスパイを買収したのよー」
「スパイ?」
「それも知らなかったんだ。 そうだよね、知ってたら家に入れるわけないか。
 ほら、佐喜子さんの介護に来てる女たちがいるじゃない。 その一人よ。 田中那美〔たなか なみ〕って女」


 デイケアの田中さん? あのちょっとツンとした物静かな?
 翼が言葉をなくしていると、小枝子は説明を付け足した。
「彼女ね、星芯流の名取りで、谷中登美春〔やなか とみはる〕って名前貰ってる人よ。 家元のこれ」
 そう言って、小枝子は昔風に小指を立ててみせた。









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背景:月の歯車
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