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夏は謎
-103- 地味でも
敏美は六時半には店を出て、まだ明るい街をスクーターで走った。
大急ぎで木元邸に駆けつけると、門から入る前に、もう焼肉のおいしそうな香りが濃厚にただよってきた。
そして、玄関に入って靴を脱いだとたん、奥から翼が出てきて、声を落として話しかけた。
「けむいだろ? 和一ちゃんがサービスとか言って、さっきステーキ用の肉を山ほど買ってきちゃったんだ。 ここの冷凍庫、小さいから、食っちゃうしかないんで、できたら食べてく?」
暑くてフーフー言ってるのに、更に暑苦しいステーキか……
食欲は沸かなかったが、敏美は社交的にうなずいて、まずはシャワーを浴びに行った。
客間の大テーブルが、敏美の見た限り初めて、人で一杯になった。
本来なら和一郎はウザい存在だが、初対面同然で、しかもとても重要な翼の両親が同席している今、座持ち上手な彼がいてくれて、敏美はずいぶん緊張しないでいられた。
「千登勢おばさんもっと食べなよ。 なんか痩せたんじゃない?」
「それってお世辞?」
「いやー夏痩せって体に悪いからさ」
「残念でした。 二キロ太ったわよ」
「ほんとー?」
他愛ないご機嫌取りでも、和一郎が明るく言うと何故か乗せられてしまう。 彼は正統派の人たらしだった。
おかげで敏美もよく食べ、よく笑った。 翼はいつもより口数が少なく、存在がややくすんでいる様子だったので、敏美は逆に出しゃばらない程度に彼に話しかけ、ときどき目を合わせて二人だけの合図を送った。
こういうとき、翼は一歩引くところがある。 派手な和一郎に気後れするのか、彼にしらけていて口をききたくないのかわからないが、そんな翼が敏美は胸が痛くなるほど好きだった。
目立ちたがりは性に合わない。 地味な技術畑でスーツを着ない職場でも、翼のほうが和一郎よりずっといい!
想いが心からあふれて、瞳を通して伝わったのだろう。 食事が終わる頃、翼の機嫌はすっかりよくなって、冗談を言いながら敏美と肩をぶつけあうほどになった。
すると、今度は和一郎の上機嫌が少し減った。 軽い言葉尻にかすかな皮肉が混じるようになった。
「ビール、そんだけしか飲まないの? ああ、運転して帰るからか。 大丈夫だよ、もう一缶ぐらい。 ほんと若ジジーだな、翼は」
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